男所帯のお嫁さん


夏の終わりに

出先から戻る隊士たちの声がすこしずつ集まって、騒がしくなる屯所の夕暮れ。
虫の声が聞こえ始めて、季節が変わったことを知った。今年の夏はほんの一瞬だったような気がする。
土方は、最後の一本をくわえて、煙草の箱を握りつぶした。遅い。
「ただいま戻りました」
「どこほっつき歩いてんだよてめぇは。おいなんだ、その荷物は」
勝手口から帰って来た山崎は、品物でいっぱいの編みかごを抱えている。土方が頼んだのは煙草ふたつのはずだった。

「すみません! ちょっと用事があったもんで。今日、局長の誕生日でしょう。宴会の料理をね、沖田さんに頼まれたんですよ」
ひょい、と足で器用に下駄を揃えて脱ぐと、後ろ向きで縁側に上がった。
「おまえが作んの?」
「ええ、まあ。たいそうなものはできませんけど俺のときも祝ってもらったから、お返しがしたくって」
酒宴の好きな男所帯、今年も誰かれとなくお祝いをしようという話になった。
近藤にしてもいい歳なので、こう毎年変わらない顔ぶれに誕生日を祝われるのは多少気恥かしさがあった。
それでも集まって酒を飲むのが誰より好きな男だから、きっと楽しみにしているはずだ。
今頃、原田たちは広間に席をつくっているだろうし、沖田は長い夜にそなえてそのあたりで眠りこけているかもしれない。
なんにしろ、こうして一年、息災でやってこられたことに胸のなかで手を合わせる思いをそれぞれが抱いている。
だから誰かの誕生日には、屯所の夜はいっそうにぎやかになるのだった。

ひたひたと裸足で歩く山崎の後を、土方はなんとはなしに追って歩いた。向かったのは風呂場の前のちいさな炊事場。
一日三度の決まった時間には食堂に通いのひとを雇っている。味もそこそこ値段も安い。
むかし、屯所を構えてすぐの頃はそんな余裕もなくて、隊士が当番を組んで炊事にあたっていた。
今となっては屯所のすみの、ちいさくせまい台所は役目を終えたみたいな恰好でひっそりと静まっている。
けれど、今でもときどき山崎は、夜食や酒のつまみを頼まれてこの台所に立っていた。
だから道具やなべの場所もよく知っているし、なんとなくその一角は山崎になじんでいるような気がした。申し訳程度の、おまけみたいな流し台と古ぼけた水屋。
土方は廊下の角にもたれて立って、こまこまと立ち働く後ろ姿を見ているのが好きだった。

「ちらしずし、つくろうと思うんですよ」
山崎はたもとからひとつ帯紐を出して、手早くたすき掛けをした。端をくわえて結ぶようすに、土方は内心どきり、とする。
電球のこじんまりした灯りや、その光が山崎の頬に映すまつげの影、遠くに聞こえる虫の声まで、ふわふわの懐かしさに包まれている。
いつかむかしにも見たことがある気がするような、やわらかな懐かしさだった。
「へえ、そりゃ楽しみだな。近藤さん、またうれし泣きするぜ」
涙もろい大将の顔が浮かぶ。それも毎年のことだった。

「あ、副長、梨食べます? 冷えてませんけど」
熟れすぎてしまって売り物にはならないから、と持たせてくれたらしい。
そこの八百屋の主人には先月孫が生まれたそうで、行くたびに長い話につき合わされることも、楽しげに山崎は話した。
「おう、食う」
土方は、山崎のゆるい声で聞く、よく知った町の話が好きだった。毎日歩いているけれど、知らないことのほうがはるかに多い。
「はいよ」
しゃりしゃりと涼やかな音。湯を沸かす湯気と白い木綿の背中。ぼんやり眺めているうちに、土方はなぜか所帯を持った気にまでなって、見当違いな妄想にひとり赤面した。
受け取った白い瀬戸物の器には芙蓉が描かれている。夏の終わりの梨はみずみずしく熟れて甘い。
山崎は、夏が終わってしまいますね、と、すこし寂しそうに言った。
抱きしめたいような思いも一緒に飲み込んだまま、土方はまだ突っ立っている。手伝うわけでもなく、声をかけるわけでもなく。

「あの、土方さん、仕事いいんですか?」
手が離せないから煙草、買ってきてくれ。出掛けにはたしかにそう聞いたと思う。心配になって山崎は声をかけた。
いてくれるのはうれしいけれど、ちょっと緊張してしまう。実はさっき、酒とみりんを間違えた。
「なんかおまえ、奥さんみてぇ」
土方が心底感心したように言ったので、山崎は手元もよく見えないほどに恥ずかしくなってしまった。
でもやっぱり、そりゃあもう、うれしかった。


おわり
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