浮かれポンチお誕生日


好きさ好きさ

「……どうしてだと思う?」
仕事から逃げてきてしまった。公園のベンチ。水色のぞうとぱんだの、ばねのひっついた遊具がなんか、こっちを見ててちょっといやだ。
山崎は座って、ずっと、同じことを考えている。隣にいる猫は、話しかけてもなんにも言わない。
「忙しいのは知ってるけど、でも、ごめんって、今度なって、そういうの、不安になる」
ちゃんと聞いてる、と問いかけたけれど、猫はもちろん知らんぷり。
「俺のこと、きらいになったのかなあ」
言葉にしたら、思っていた以上に現実味があって、震えがきた。心臓がじくじく鳴っている。
今日は土方の誕生日だった。山崎は朝いちばんに、食事にさそった。
ごめんな、忙しいから、今度行こうな。
土方の返事はとても、やさしかった。山崎が今まで慣れてきたいろんなものを、急に見失ってしまうくらい、やさしかった。

いろんなことから逃げてきてしまった。食堂のすみの椅子。年をとると落ち着かなさまで増すような気がして、ちょっといやだ。
土方はからっぽの膳を前に、ぼんやり湯のみを持っている。煙草、煙草、と思うけれど、立ち上がる気になれない。
ご馳走します。夕飯、外で一緒に、どうですか。
山崎のさそいを今朝、断った。去年もその前も、誕生日を祝ってくれた。今日になって、何をどうして断ったのか、自分でもわからなかった。
当たり前に年をとる。気恥ずかしさが目立ってくる。もう若くない、のに、十代の、すこし前の言い方なら、月代を剃ったくらいの年頃の、男の気持ちでいるようだった。
「どうも、だめなんだよな……」
だいたい、季節が悪い。こんな、こんなきらきらして、よく晴れて、俺が浮かれてるみたいじゃねえかよ。
土方は、ぎゅっと眉間にしわをよせた。
気を抜くと叫んでしまいそうだ。愛してるとか好きだとか。若くなければ到底似合わない、そういうことを平気で言えるくらいに、たぶん浮かれてる。
だから、断った。

不安やそわそわした気持ちはよく知ってる。毎日繰り返される夕暮れとおんなじくらい親しい。
山崎は書類整理を終わらせて、部屋に戻った。箪笥の抽斗をほんのすこし開ける。この数日の決まりごと。
紺色の包みがそこにあった。ちゃんと贈りものらしい顔の、だけど自分で包んだからちょっと不細工な、包み。
箱のなかは、古道具屋で見つけた懐中時計だ。たくさんの時間とたくさんの物語を知っていそうな時計。真鍮に唐草の彫りが施されていて、ひと目で気に入った。
手のひらにのせてみると、ちくたくと動いている気がして、それはまるで、心臓みたいだった。
なんとなく、ため息。こっそり置いておこうかな、と思う。名案ってほどじゃない。だってほんとうは、ちゃんと贈りたい。

同じ頃、土方は屯所を出た。それくらいしかすることがなく真っ向から取り組んだ仕事は、きれいさっぱり片付いてしまった。忙しいというのは、うそじゃあなかったのに、今ではほとんど、うそになってしまった。
商店街は店じまいを始めている。こういうときに限って会いたくないやつに会う、はずだったけれど、菓子屋の前でよく見かける白い頭を今日は、見かけなかった。
「いらっしゃい。えっと、そろそろ閉めますけど、どうします」
「あっ」
年若い娘が困ったふうにたずねた。土方は、妙に声をうわずらせて、ショウケースを差した。
「ショートケーキを、ふたつ」
「はあい。ありがとうございます」
ちいさな白い、紙箱を受け取って、商店街を引き返した。どうすんだよ、これ。困った、しかし後の祭り。
ひとつつまずくと、持ち直すまでにずいぶん時間がかかるのは、ちいさい頃からのくせだ。土方は、気恥ずかしさに滅法弱い。
こうなれば、もう何もかもが思うようにいかない。何を見ても、思ってしまう。つなげてしまう。好きな子のことで頭がいっぱい。夜なんか特に。そのうち詩でも書いてしまいそうなくらい。
「笑っちまう」
なんて書くつもりだろう、と思った。愛してるとか好きだとか? 笑っちまうどころじゃねーな。
ときどき、そういうことがある。好きな子のことで頭がいっぱい。
公園の、城みたいなかたちの時計台は七時のすこし手前を指している。ふと土方は、ベンチにひと影を見つけた。なんか似てるな、なんて、ああ、どうしようもないな。
ひと影は立ち上がって、軽く会釈をした。ほんものの山崎だった。平静はたぶん装えないし、ケーキの箱も隠せない。考えに考え、何も浮かばず、そのまま歩いて隣に座った。
「散歩ですか」
「ああ、うん。なあ」
「はい」
山崎は言葉を待った。土方はひらめきを待っている。
「これ、やる」
「なんですか」
「ケーキ」
山崎は、きょとんとして、お誕生日は俺じゃないですよ、と言った。もっともだ。
「おめでとうございます。土方さん」
「ああ、うん。いや、めでてえ年でもねーよ、もう」
昨日今日、恋したわけでもないくせに、今さら何を戸惑うのか。ほくろの数まで知っているのに、どうしてこうも照れくさいのか。いい年してみっともねーよな。でも。
土方は煙草を取り出して、二度失敗して、三度目で火をつけた。
「忙しいって、うそですか。飯行ったりとか、嫌ですか。それともきらいになりましたか」
「えっ」
煙にむせた。濃くて、苦しい。吸い始めたばかりの、恰好つけたくて背伸びしたかった、あの頃みたいに。
「なんで」
「いえ、なんとなく。変なことを。すみません」
「……うれしかった。けど、ちょっと、照れちまってな。はは」
たぶん、きっと近いうちに言ってしまう。笑えないほど恥ずかしいことを、たくさん。好きさ好きさ。どうしようもないよ。
「ええっ今さら何を」
「そうだな、今さらだ。でも、慣れねーんだ。好きでいるのもいられるのも。みっともねーほど、浮かれちまう」
「見えません。そんなふうには。わかりにくい」
もっと浮かれてくれたっていい、と山崎は思った。かっこいい顔してないで、みっともなく浮かれてほしい。
「あっそうだ、贈りものがあるんですよ」
「いい。気遣うな」
「そういうわけには」
山崎は、はやい鼓動をどうにか静めようと、息を止めた。夜がゆっくり深くなる。置いてこなくてよかったと思った。
「お誕生日、おめでとうございます」
胸のなかでどきどき鳴ってるものなら、もう、あげちゃった。だから、ポケットのなかで今、どきどき鳴ってるものを、受け取って。

おわり
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2010.05.05 Happy Birthday!