ピーナッツ・チョコレート
おもしろくない、と高杉は思った。
週末はヴァレンタインデー。下駄箱にチョコレート、机のなかにもチョコレート、行きも帰りもチョコレート。うんざりだ。
高杉は、実のところかなり、もてる。だれもよせつけない孤高の感じが女子に人気だった。ちょっぴり危険な香りがする淡いあこがれを胸に、大人っぽいラッピングのチョコレートを贈ることが、なぜだかひとつの行事になっているらしかった。
おおかた返事は待たれていない。自分のそういう位置づけが、なんとなくおもしろくないのだ。
それだけじゃない。この一週間、万斉とまともに口をきいていない。今月末に、学校の講堂を借り切って卒業ライヴをすると言っていた。軽音楽部と吹奏楽部、それから演劇部が出しものをする。放課後になると、校舎のどの廊下にも音が溢れていて、うんざりだ。
練習、練習、練習。高杉はまったくの蚊帳の外で、手も足も出なかった。
放っておかれることが気に食わないのではない。自分には打ち込めることが何もない。それが悔しく、また、虚しかった。自分だけがいつまでも空っぽのまま迷路のなかに取り残されてゆくような、そういう焦りが胸にのしかかる。どうにも歯痒い。自分から蚊帳の外に出たくせに。
アメリカに行く、と万斉は言った。一週間前のことだった。アメリカの音楽学校に進学が決まったらしい。
何か言うと女々しくなる気がしてそれきりにしたやり取りが、未だ喉元にわだかまっている。もっと言うべきことがあったはずだ。
高杉は迷路から抜け出したかった。伝えずじまいの気持ちは時限爆弾みたいに、かちかちと音を鳴らしながら残り時間を点滅させる。爆発する前に、会いたい、と思った。
午後八時三十分。マフラーをぐるぐる巻きにして家を出た。電車とバスを乗り継いで、あいつの家まで。そんな唄があったな、と揺られながら思っていた。
帰ってくるのは遅いだろう。会えないかもしれない。電話しようか、いや、やめよう。コンビニでうろうろしながら考える。携帯電話を開いたり閉じたり、立ち読みしたり、ペットボトルのお茶のおまけを見てみたり。まったくせわしない。
それからは、万斉の住むマンションの前をあてもないのにぶらぶらしていた。静かな町だった。月極めパーキングに車がぎっしり停められている。まるで箱に入ったチョコレートみたいだ。ぜんぜん、おいしそうではないけれど。
高杉はぶら提げたコンビニ袋からピーナッツ・チョコレートをがさごそ出して食べ始めた。百五円の、どこにでも売ってるこれが、なんとなくちいさい頃から好きなのだった。
四角いマンションばかりが立ち並ぶ四角い町。ぽつぽつともる街灯と息がおなじ白さだ。辛抱強く待っていたら、やっと靴音が聞こえてきた。
「晋助? やあ、どうしたでござるか。こんな時間に」
「ちょっと用があってな。たまたま通りかかった」
「そうか。寒いゆえ、はやく帰ったほうがいいでござるよ。駅まで送って行こう」
なんだそれ、とか、ばかじゃねーの、とか、待ってたんだよ、とか、会いたかった、とか、そういうものがあたまのなかで、ぐるぐるぐるぐる。かちん、と火が付いたらもう手遅れだった。爆発、した。
晋助はコンビニ袋に冷えた手を突っこむと、小石のような粒を掴んで万斉に投げつけた。
「こんなとこ、偶然で通りかかると思ってんのかよ! ばかやろう、おまえなんかだいっきらいだ!」
叫ぶと同時に走って逃げた。一度も振り返らなかった。これでおしまい。それならそれで、かまわない。
ほんとうに?
風がつめたい。びゅんびゅん走るから、息があがって頬が熱くなった。容赦なく冬風が切りつけて、熱いより痛かった。涙が出た。風のせいだ。
どうしてこんなに走っているのか。どうして泣きながら走っているのか。さぱりわからん。
好かれていると思っていた。俺はそれに甘えてた。思い上がりも甚だしい。自分から求めたことなんて一度もなかった。たぶん、傷つくのがこわかった。
バス停ふたつ分を走り抜けた頃には膝も体もくたくたで、高杉はべしゃり、と転んでしまった。胸から道路に突っ込んで、親指の付け根をすこし擦りむいた。痛かった。
思えば散々傷つけた。気持ちわりーよ、あっちいけ、またきやがったのか。こうなる前はそんなことばかり言っていた。
手を擦りむくのとはわけが違う、と思った。あいつは痛かっただろうに、それでも俺を求めてくれた。
俺はただの意気地なしだ。伝わらないくらいで逃げていたら、もう一生会えなくなる。
駅前までは、なけなしの体力でどうにか走った。今歩くのはなぜだかものすごく滑稽な気がして、ばかみたいだとわかっているけれど、見栄でなんとか走っていた。駅前通りのアーケードの入り口で、ようやく走るのをやめられた。両手で膝を掴んで息を整える。ポケットで携帯電話が震えた。
保留ボタンにふれながら思った。気持ちは定まりようがなかった。でも、青春はいちどだけ。
なあ、素直になれよ、意気地なし。息を吸いこんで通話ボタンを押した。ごくわずかだけど、進歩。
耳慣れた、でも新しい、いつでも腹が立つほど落ち着いている声は、すこしだけ焦っているように聞こえた。
「もしもし、さっきはごめん。晋助、チョコレートありがとう。うまかった」
「は、食べたのか」
「三秒ルールでござる」
電話のむこう、ふ、と笑った気配。二、三秒のまを置いてから急に改まる。どこかの店からシャッターを閉める音が大きく響いた。
「会いにきてくれるとは思わなかった」
今も信じられない、と万斉はおおげさなことを言った。どこにいるかを聞かれたから、駅、とだけぶっきらぼうに答えた。
「すぐに参る。待っていてはくれぬか」
「ああ。待ってる」
信じられない、なんて笑わせる。信じてもらえなきゃ困るんだ。日本とアメリカでさえボーイングで九時間三十分、会いたけりゃすぐに飛んで行ける。俺が意気地なしじゃなかったら。
明日はヴァレンタインデー。ちゃんと包装したチョコレートは気恥ずかしくて買えなかった。大馬鹿者。でも、気持ちのほうがだいじだろ。
両手をこすってあっためる。好きだと言えたらさらに進歩。ほかにも言いたいことなら山ほどあった。
どれから手をつけようか、考え始めたところで黒いコートに抱きしめられた。
おわり
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