夕陽のなかにいるような


夜中の茜

ご報告は以上です。
山崎があたまを下げると、髪の先からぽたん、としずくが落ちた。急ぎの用件だったので、雪の降る夜道を駆けて戻ったそのまま、報せに上がった。冷えすぎた指先がじんじん痛い。
土方は苦い顔を貼り付けて、煙草を消した。枝分かれした攘夷組織のひとつが、このところ慌ただしく動いている。くすぶり続けてきたちいさな火種は、いつ大火事になるとも知れない。寒気がしんしんと身にしみるような、そういう不穏さがあった。
「書類は明日でいい。もう寝ろ」
「はい。失礼します。あの、畳を汚してしまって……すみません」
立ちあがりかけた山崎のまわりを囲うように、水滴が落ちていた。懐を探すけれど、てぬぐいが見当たらない。土方が突然握った山崎の手は、氷のようにつめたかった。
「いたっ」
「悪い。寒かったろう。風呂は」
正直なところ、一刻もはやく寝床に潜りこみたかった。ふれた指も頬もひりひり熱い。
「いえ、朝にします。今夜はもう寝てしまおうかと」
「ならここで寝て行け」
土方はかしわに折った布団を伸べ、ばさばさと隊服を脱いで寝間着に着がえた。山崎にも着替えを出すと、あかりを消してそのまま布団に連れこんだ。あまりにも、当然のごとき振る舞いだったから、山崎はぽかんとしてしまって、言われるままにぺたり、隣にひっついた。
後ろから抱いて、冷えた体をあたためてやる。髪の先がまだ湿っている。腕のなかでじわじわと体温を取り戻してなってゆく体に、土方には言いようもないほど安堵していた。やすらかな気持ちだった。
「どうしたんですか」
「理由がなきゃ、だめか」
行燈のあかりが畳に落ちた雪のしずくを照らしていた。
夜明けまではまだ遠い。しずかな部屋、やさしい腕、真夜中のちいさなあかね。
「ね、見てください、ほら、夕焼け色。でも染みにならないですかね」
「しゃべってねーで、はやく寝ろ」
「はい」
手あぶりも消してしまっていたから、部屋は息が白くなるほど寒かった。布団のなかだけが、ゆるやかなぬくみに満ちている。山崎は疲れた体をすこうしまるめて、ふかふかの眠りのなかに滑りこんだ。土方はねぎらうように、しばらく山崎の腹のあたりを撫でてから、ようやく寝息をたて始めた。 小雪降る冬の夜は長く、静か。ときおり揺れる行燈の火も、じりりとかすかな音をたて、いつしか闇にまぎれて消えた。
朝、土方が目を覚ますと山崎の姿はなかった。いつものことだ、と思う。だからいつもの、ほとんど慣れ親しんだと言うべき寂しさが、布団の右側に横たわっていた。山崎のかたちのままで。
江戸の町に雪は積らなかった。昨夜の夕陽のしずくもまた、あとかたもなく消えていた。


ことが今日、明日に動き出すという兆しも予感もなかったが、見廻りを強化するよう言い渡した。たいした動きもないままに、一週間が過ぎた。 週末の幾分慌ただしい往来を、非番の土方はひとり、歩いている。
屯所に戻る途中で寄った、小商いの店々が連なる横町は、半月ほど前、酔っ払い同士の派手なけんかがあった場所だった。元は飲み屋の空き家には今、酔漢の代わりに猫が出入りをしているらしい。
二軒隣の岬というおでん屋にずいぶん前一度だけ入ったことがある。斜向かいは豆腐屋で、すこし行けば仕立屋、仏壇屋、小間物屋。てんでばらばらな店と看板が当たり前の顔をして立ち並ぶようすがこの町らしい、と土方は気に入っている。
あまり陽の当たらない飾窓の前で足を止めた。時代遅れの化粧品やら婦人靴、花飾りがごちゃごちゃと置かれた洋品店だった。
店の名は巴里、とある。奥を覗いてみると、古い映画に出てくる女優がかぶっているような、大きなつばの帽子が籐の長椅子に置かれていた。骨董屋の店先では安売りの茶碗が木箱にごろごろ入れられていくつか積んである。履物屋の飾窓は、子供のものだろうか、濃い桃色の鼻緒がちらちらとまぶしかった。
あいつは今頃、どうしているだろう。昼まで寝て、そのあとはまた潜入だったか。
ことあるごとに、土方は考えた。こういう店が好きそうだとか、あいつは変わっているから、こういうものを気に入るだろうとか、取り立てて言うこともないぼやけた横顔越しに、店の顔を眺めて歩く。そうやって町を見回していると面映ゆいようなうれしいような、楽しいような気分になった。すこし、寂しくもなった。
すぐにいなくなっちまいそうだから、俺はなるべくあいつに似たものを、探そうとしてるのかもしれねえな。
おかしなものを贈る妙なくせは、きっとそこからきているのだろう。口元がふふ、と歪む。自分をかわいそうがっている笑いも、かすかに混じっていた。
買い物をして、ぶらぶら屯所に戻った。非番のような、そうでないような一日が、いつものように過ぎていった。

ちょうど部屋で支度にかかっている山崎をつかまえた。突っ立ったままで、懐から紙の袋を取り出した。口を折って封じただけの、簡素な包み。
「おまえにやるよ。誕生日だからな」
「過ぎちまいましたよ。それに副長、ちゃんと昼飯、ごちそうしてくれたじゃないですか」
「いいんだ。おまえにやりたくて買ったんだから」
かさかさと山崎が薄萌黄の袋を開けると、ぎやまんの玉の通った髪紐が転がり出てきた。
「夕焼け色、だろ」
橙色と透明と黄色でできた硝子の玉は陽に透かすと、金の粉をまぶしたようにきらめいた。金柑よりも、ひとまわりちいさいくらいのひと粒。
「……ありがとうございます。どうして」
何が、と聞くと、俺のことなんでも知ってるみたいだから、と帰ってきた。かわいいことを言ってくれる。
「今年もまあ、息災でな」
照れを隠しすぎて、年寄じみた台詞になった。傾いだ陽が障子を染めている。じゃあな、と言って部屋を出た。そっけないくらいがちょうどよかった。
誕生日でなくとも、きっと俺は探すだろう。もしいなくなったとしてもすぐに見つけられるように、日頃から稽古をしておけばいい。
山崎は何も知らずに、うれしげに笑ってくれる。かわいそうな気もするが、そのほうが都合がいい。
でも、俺の稽古を無駄にしてくれりゃ、もっといい。


おわり
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