忘れられない夜を、お約束します


忘れられない夜を、お約束します

裏通りを抜けターミナルの近くまで出ると、夜はまぶしくいっそう華やか。
眠らない街があることを、知ると同時に遊びも覚えた。もうずいぶん前のこと。
土方は洋館の前で足を止めた。そこは一見ふつうのレストラン。しかし実際は天人が裏で手を引く地下カジノだった。
あやしい匂いはするものの、摘発には今のところ至っていない。理由はいくつかある。

磨き上げられた金のふちどりが美しいドアを抜けると、土方は給仕を呼び止め指図をした。
山崎には聞こえなかったけれど、この際だから仕事か何かもうひとつくらい、片付けてしまおうと思っているのだろう。山崎はただ後ろで控えていた。
二階まで吹き抜けの天井、見渡す室内は白っぽく輝いて、まるで真昼のよう。
生演奏のジャズナンバーが煙った空気にたゆたっている。
いくつかのテーブル席にはグラスを傾けるひとたち、揺れる金糸のカーテンの向こうはカジノ。
自分には関係のないことだけれど、見たこともないような大金が今ここで行き交っているのだろう、と山崎はぼんやり眺めていた。
「行くぞ」
声をかけられて、とっさに腕を絡めた。すごく自然に、たおやかに。
らせん階段を上る、舞踏会にでも行くみたい。だけどハイヒールのかかとが痛い。
これじゃダンスはできないなあ。
山崎は土方に掴まりながら、うつむいてすこし笑ってしまった。照れくさくって緊張していて外はすごく寒かったのに、手のひらに汗をかいていた。

いちばん奥の部屋の前、土方は金色の鍵を取り出した。旧式のシリンダー錠をまわすと軋んだ音をたてて扉が開いた。
目で促されてなかに入る。ちいさな部屋にはバーカウンターとソファ、繊細そうなシャンデリア。それから大きなベッドがひとつ。
ひとつあるドアの向こうはバスルームだろう。
山崎はようやくこの洋館が摘発されない理由を知った。

密談にも取引にもぴったりの、豪奢な個室。けれどあくまでここはただの箱だから、手は出せないのだ。
それに、そういうものを利用するのは幕府の上のほうにもいるってことも心得ていた。
女を買って連れ込んで、いいことするための部屋。飾り立てた、金持ちのための社交場。

土方は突然、山崎を抱きよせてくちびるを奪った。
深く深くくちづけられて、ただでさえ不安定な山崎の足元は、ふわふわと絨毯を踏んでよろめいた。
「ちょっと、苦し…」
「嫌か?」
胸を押し戻してしまったのは嫌だったからじゃない。
居心地が悪かった。ただでさえこんな高級そうなところ、息苦しくってかなわない。
副長だって同じはずだ。不透明なねじれた部分をいちばん嫌うはずなのに。
「どうしてこんな場所、知ってんです?」
「とっつぁんに押しつけられたんだよ。女と遊んでんの娘に見られちまったとかで、出歩けねぇから代わりに使えってさ」
「副長も相当遊んでると思われてんですね」
ふらりと腕を抜け出すと、娼婦の山崎はソファのまわりをゆっくり歩いた。
「どうせとっつぁんにしたって、上からの下りもんだろ、この部屋。迷惑な話だ」
山崎は話なんて聞いていないふうで、部屋を見てまわった。土方が寄ればかわして、ふらふら歩く。
甘い香りが立ち込めている。コロンはNo.5、ドレスは夜の滲んだような、深くて甘いすみれ色。
大きく開いた背中にシャンデリアの影が落ちて、揺れていた。
土方は一瞬ぜんぶ忘れて、光を目で追っていた。
きれいすぎて、部下じゃなきゃ手の届かない高根の花だなんて、思ってしまった自分が恥ずかしい。

「なあ山崎、それ焦らしてんの?」
やっと捕まえたと思ったら、長いまつ毛がきらめくから、どきん、と胸が鳴ってしまった。偽物の涙はグリッター。
そんなの反則だろ。
「甘ったりぃ匂いだな」
「…シャワー浴びて来ます」
山崎を後ろから抱いて、首筋に顔をうずめて言った。
「いいさ。そんなもん消えちまうまで抱いてやる」


おわり
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