負けてられない



土方はようやく作った休憩時間、屯所の塀にもたれて煙草を喫んでいた。昼を過ぎてゆるんだ日差しと冷たさを日増しに匂わす風に、つい先月まで暑苦しかった隊服もちょうどよく感じられた。 そういえば最近、屯所のまわりでよく猫をみかける。金茶の子猫だ。整った毛並みから、どこかの飼い猫であることは間違いなさそうだけれど、いつも夕時にふらふら姿を見せてはすぐにいなくなる。 一度そばへ寄ってみたが懐くようすはなく、小憎たらしくしっぽを立てて軒下へ入ってしまった。どうやらそいつは俺のことが気に食わないらしい。そんなそぶりがあった。けれどもなぜか、よく出くわした。

「なんだよ、おまえ」
あんまり猫がにらむので、そう言ってやった。にゃあ、なんて鳴きもしないで音もなく飛び降りたら、俺のすぐとなりをかすめて、堂々と屯所のなかへはいって行きやがる。
「あ、おい、待てよ」
そいつは一度、小馬鹿にするように振り返って、逃げる速さではない足取りで玄関は通らずそのまま、脇へ抜けた。どうやら庭へ向かうらしい。俺が追ってくることを確かめたんだと思った。金茶の毛並みが陽を浴びてきらり、と光った。何かに似ていた。同じ光景を何度も見ているような錯覚があった。


庭を突っ切れば稽古場で、ああそうだ、この道はあいつくらいしか通らない。総悟だ。そう気がついた。
あいつは軒先で履物を脱いで持って上がる。道具も廊下寄りの壁にあるのだから、玄関から入ったって変わらない距離、さして近道にもならないだろうに。
二、三度咎めたが直す気はないとわかっていた。それに実際、その癖をひどく叱る気にはなれなかった。
武州にいたころの名残りなのだと思うからだ。
はじめ、あの道場の軒先はちょうど総悟の胸のあたりで勢いよく駆けてきては体当たりをしてよく苦い顔をしていた。腰掛けると当然、脚がつかない。ぶらぶらさせながら菓子やなんかを食べていたことを、昨日のように感じてしまう。近藤さんの髪がまだ長い頃だ、もうずいぶんになるのに。
懐かしさにくるまれた記憶は思っている以上に強く、今も自分のなかにある。

角を曲がると猫はそこにいなかった。くそ、どこへ隠れてやがんだ。からかわれている気がして癪だったけれど、かまわず植木のまわりや塀の上を見回した。見つからないので膝をついて縁の下まで覗き込む。いない。

庭を抜け、まさかとは思ったけれど一応、稽古場も確かめた。ここにも姿がない。 なるほど猫は総悟に似ている。俺をからかうようすも、にらむ目も、毛の色も、そっくりだ。そう思うと見回りをすっぽかしてどこかで遊んでる気がしてきた。いつものことなのだが、こればっかりは咎めないわけにもいかない。
けれど今は、まず猫だ。必ず見つけて捕まえてやる。売られたけんかは買ってやらねぇとな。
しゃがんだり屋根を見上げたりで、うっすら汗をかいてきた。上着を脱いでスカーフまではずした。それでもやつは見つからない。しかし猫のかわりに山崎が廊下に座っているのが見えた。
居眠りでもしているのか、ぺたん、とへたりこむように膝を折って、柱にもたれていた。
「よォ、こんなとこで何してんだよ」
「きゅ、きゅうけい、です」
「猫見なかったか」
「知りませんよ」
眠ってたわけではないけれど、ぎこちないそぶりだ。いつも怒鳴り散らしてるつもりはないのに、山崎は時々ぎこちない。休憩くらいさせてやるよ、ってかおまえ、ほとんど毎日休憩ばっかじゃねぇかよ。

「ん?なんか隠してんのか」
「いいえ、なにも?」
体をひねったまま答えた肩は、どうやら何かをかばっているふうだった。
「こら、おまえ」
「…えへへ、見つかっちゃったなあ」
いた、猫だ。山崎の脚に体を乗せて、くつろいでいる。こうしていても懐く、というより気まぐれに遊んでやってるんだ、ってな具合で、やっぱり小憎たらしいやつだと思った。
「飼うなんて言いませんから」
「ったりめーだ。田舎の道場じゃねーんだぞ」
「わかってますって。でもこの猫、副長のこと好きなんですよ、きっと」
「んなわけねーだろ。にらみつけてきやがるし、可愛くねーところもそっくりだ」
「沖田さんに?」
やっぱりなあ、と言って山崎は笑った。違う、なんて今更言えなくて土方は黙ったままだ。
「俺も思ってたんですよ。このこ、よく副長のうしろついてまわってるから。仲いいですよね」
機嫌よく言うなよ、そんなこと。
「俺、お茶いれてきますね」
「おう」

猫と並んで空を見れば、いわし雲が一面に泳いでいて、遠くに暮れがせまっていた。
「暗くならねぇうちに帰れよ」
昔にもよく言った同じ調子でひと言こぼせば、猫ははじめて、にゃあ、と鳴いた。
わかってまさァ、そんな具合にぞんざいに。
撫でてやるよりこうして空をぼんやり見ているほうがいいのだと、知っていたからそのまま並んで茶を待った。
「けどよ、あいつは俺のもんだからな」
意地悪を言ったらふい、と猫はそっぽを向いた。だいたいおまえはいつだって、俺に大事なもんをとられてきたって思ってるけどよ、俺にしちゃあおまえのほうが、ずいぶんいい思いをしてると思うぜ。
俺ァそんなふうに子供の顔して甘えるなんてできねぇし、まっすぐじゃねぇし、自由でもねぇ。可愛いふりも似合わねぇ。
だからおまえにあいつはやらねぇよ。まあ、膝くらいは貸してはやるさ。他にいんだろ?甘えたいひとがよぉ。
茶と皿に注いだ牛乳を盆にのせて山崎が戻ったら、猫はまたその膝に寄りかかって、もぞもぞと具合のいい場所を探した。
「ぜってーやらねぇからな」
貸すのは膝だけだ。
「えー副長も牛乳のがよかったですか?」
「ばっか、違ぇーよ」
土方の気を知ってか知らずか、猫は目をつむったまま山崎の膝の上でじっとしていた。
猫にも部下にも手を焼いて、そのうえ恋すらまともに手に入れられない。おまえがうらやましいよ。認めたくねーけどやっぱり。
「ったく、いいご身分だなあ、おい」
ちょいとしっぽをつついたら、猫の代わりに山崎が土方を叱った。土方は仏頂面で靴を履いたままの足を縁側に上げ、山崎に寄りかかった。
「重っ、ちょっと」
「うるせぇ猫がよくてなんで俺はだめなんだよ、じっとしてろ」

わかったか、俺だってなこれくらいはできんだよ。
猫よりよっぽど子供っぽいふうで、土方は満足げに体重をあずけた。それこそ子供みたいにどきどきしてるのなんてお構いなしで、隔たりをひとつ飛び越えた気になった。
なあ、好きだって言ったら、俺にも膝を貸してくれるか?
だけどそんなことまでは到底、言えなかった。

おわり
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