師走
岡場所の女郎屋でひと騒動あった。攘夷のものが十数人集まって、何やら悪さを企てているという。このところ、なりをひそめた鬼兵隊にかわって、町中でときおりどんぱちやっている、売り出し中の一味だった。
今夜、捕えられたなら、むこうひと月は仕事がすこし楽になるだろう。寒空に靴音を響かせ、真選組の男たちがあたりを囲む、その先頭、今晩の斬りこみをつとめる十番隊隊長が、大声で主を呼ばわった。
ぱららん、と色っぽく鳴っていた三弦の音が絶え、御用改めの声が響きわたる。
艶めく赤い提灯の、あかりの満ちる回廊は、瞬く間に逃げる客と娼妓たちで溢れた。いよいよその部屋に押し入って、腕に覚えのある古参の隊士が、剣を抜いた。ぱっと赤が光る。
女がひとり、二階の窓から転がり落ちたが、かまうものはなかった。
それもこれも、仕組んだこと。
せまい回廊を逃げまどう女たちは、どれも赤い襦袢姿で、ひらり、ゆらり、水に泳ぐ金魚のように、戸口にいそいだ。
白い足首を交差させ、黒髪を乱したまま、男たちには目もくれず。
まぶしい金魚が泳いだあとは、幾分、黒みがかった赤色が、廊下と襖に名残りをつけた。恋しいひとに縋るようすで、黒い上着の腕に肩に背中にと、今宵のしるしを沁みつけた。
ふう、とやりきれないため息を、原田はひと知れずこぼしてから、肩で息する隊士たちに引き上げを命じた。
その頃。
「あら、副長さん」
ゆるい声が夜風の隙間にさざめいた。女郎屋のすぐ隣を流れる川縁の、ほこりっぽい土の匂い。
「おこんばんは」
「何してやがる。ばかやろう」
月あかりにきらめく、かすれた紅のあかいろ。
「うまく運びましたか」
「楽勝だ」
落ちた女は山崎だった。芸者のふりをして、全員が席につき、ほどよく酔いがまわったところを報せるのが、今夜の役回りだった。
しかし、川に落っこちるなんて、もともと考えていたわけじゃない。着物の袖が木に引っ掛かってしまって、あっと思ったときには、水につかっていた。寒い。
「でしょうね。ふふ」
山崎は満足そうに笑った。土方は伸びた前髪ごしに、きれいに笑う口もとを見つめていた。はやく助けてやればいいものを、そうしてしばらく、黙ったままだった。
「あのね、足がひっかかっちまって、ちょいと引き上げてくださいな」
水のおもての光を映して、膝小僧が青白く浮かぶ。泥で汚れた肌はやわらかく、ぬめっている。
「……つめてぇな」
「もう師走ですからね」
凍えていて、歯がすこし、かちかち鳴った。
土方は上着を脱いで着せてやった。今しがた、はたらいてきたばかりの熱がこもっているから、きっとすこしは、あたたかい。
「汚れます」
たしなめる口調は、厳しいくらい、はっきりしている。
「いいさ」
襟の砂をはらう手と、入れ違いに山崎は、内かくしから煙草を抜き取る。わずかに眉毛を持ち上げた。
一本取って、不機嫌なくちびるにはさんであげる。
「燐寸、持ってたのに、濡れてだめになっちゃった」
土方は上着を探って、ちいさな箱をひとつ出した。手品でも見せるみたいに、かしゃかしゃと振ってみせる。
手が、うれしげに奪った。おしろいが香る片手の囲いのなか、火がはぜた。土方の睫毛を濡らす炎のあかりは、浮かれた提灯のあかりにすこし似ていた。
「はやく帰りましょう」
「そうだな」
土方は、連れて出た、濃紺の鼻緒の草履を砂地に揃えて、跪いた。丁寧に、だいじそうに、両手でそろりと足にはめる。右足は汚れて濡れて、くたくたになった足袋、左足は裸足だった。
「どうして、この草履」
「うん。このあいだ、部屋に置いてあったろ」
裸足のつまさきを親指でぎゅっと拭った。
「おんなじようなの、きっと、たくさんあったでしょう」
草履は、きちんと山崎のものだった。芸者衆のたくさんの履物のなかから、ちゃんと、山崎の草履を見つけて持って出た。鼻緒のところに、白梅の飾りがついている。
「あったよ」
返事にもならないことを言って、そのまま、立ち上がらない。山崎はちょっと困って、だけど仕方なく、広い肩にしがみついた。
草を踏み分ける音に、川の流れが途切れ、とぎれ。あかりは川縁を照らさない。半月のにじんだあかるさだけを頼りに歩いた。
やっと終わった、と思った。これでひとつ、仕事がしまい。土方はほんのすこし、ほぐれた気持ちになって、見られないのをいいことに、口もとをゆるませた。重くて、あたたかい。
「そうしていると、素直でいい」
山崎は返事をしなかった。かわりに耳のうしろ、あかい紅のしるしをつけた。
おわり
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