おそれるなかれ
土方十四郎は皆目見当もつかなかった。ひと月あまり前からあれこれと悩み思案しているのだが、考えすぎてもう何がなんだかさっぱりわからない。
今日も今日とて見廻りついでに、いやむしろ見廻りがついでのように、町なかを練り歩いている。
週末に、だいじな用事がある。そのための贈りものを手に入れねばなるまい。もう時間がなかった。
これが玄人相手なら勇猛果敢に恋をして、色男の浮名を江戸の空いっぱいにふわふわとたれ流しているところだけれども、今度の相手は酌婦でも遊女でもない。ましてや女でない。そして、ここがいちばん重要かつ、むずかしいところなのだが、遊びではなかった。
女によろこぶ顔をさせるなんてこと、赤子の手をひねるようなものだった。
ましてや相手も本気でないのだから、うれしがってひらひらと笑ってやるくらい朝飯前だし朝飯を食うためでもある。
土方にとって、恋とはそういうものだった。むろん、駆け引きもお手のものなら、手のひらの上で転がされることだって得意である。
むやみに傷つくこともなく、ときどき気散じに遊び、遊びに疲れたら溜まりにたまった年貢をいつか納めるつもりであった。いや、そんなつもりはさらさらなかったのかもしれない。
土方は、もう一生分の恋をしたと思っていた。
しかし、だがしかし。
恋の神様とは、いつの時代もいじわるなものである。愛し合う恋人同士を興味本位で引き離し、あの手この手を使って試練を与える。うら若き眼鏡女子をつかまえて、いささかネバネバした片思い街道を間違った方向に爆進させたり、愛すべきゴリラを恋の負け戦に駆り立てたりもするのである。
きっと空の上ではそのようすを眺め、おほほほ、などと笑っているのだろう。腹が立つけれど仕方あるまい。なにせ相手は神様だ。
むろん、この男を放っておくはずがない。
清廉なしかめっ面と涼しい目元にすけべ心をひた隠し、恋の隠居生活を悠々自適に過ごすなど、ゆるしがたい。
神様は荒々しい鼻息で重たい冬雲を吹き飛ばしながら、いたずら心を燃やしていた。ひと悶着起こしてやろう。運命の赤い糸とやらをちょいと拝見。
ははん、どうやら本気の恋などする気もなかったのに、うっかり落ちてしまったらしいじゃないか。恋しちゃった。愛しちゃった。さあ大変。
路地を逸れて、小間物屋に入った土方の、上着の裾のあたりから、ぶらりと膝裏まで赤い糸が垂れている。
が、よく考えれば、ただの毛糸のようだ。運命がこんなにけばけばしているはずはない。すこしもしないうちに、土方は店から出てきた。
「副長! ああ、やっと追い付いた」
「おう、山崎。どうした、なんか用か」
「いえ、そこの辻で見かけたもんで」
用件もないのに追いかけてくるな、と土方はあきれ顔を装って言った。
「それ、練習だから捨ててくださいって言ったのに。持っててくださったんですね」
「ああ? 」
「ほどけてますよ」
腹巻の毛糸をたぐって、山崎はにこりとした。土方はその手からほどけた赤を取り上げて、ずぼんに仕舞う。 恰好がつかないときでも、この男はそれなりに、いい。神様はだんだん気に食わなくなってきた。あまりにうきうき、きらきらしているので、おもしろくない。
「や、たまたまだ。今日は冷えるからな。たまたま見つけて、まあ、ちょうどいいだろうと思って、な」
うそである。土方はしょちゅう、しょうもないうそをつく。なかなか素直になれない性分なのだ。
昨年の冬のこと、山崎は猿飛あやめに付き合って、毛糸のえりまきをこしらえていた。手編みこそいちばんの愛のしるし、とかなんだとか。やっかいな案件がまわりまわって山崎のところにやってきてから、ぶきっちょさんに教えもって根気強く編みあげた。えりまきのつもりだったけれど、端を綴じて腹巻にした。それを結局、土方が取り上げた。
ないよりまし、と言いつつ、土方はひそかに、ずっとそれを着けている。何度もほどいて使った毛糸は、はなからくたくただった。
猿飛あやめの襟巻はというと、巻かれず仕舞いだったとか。けれどそう簡単に諦めるような女ではないから、きっとまた今年ももうすぐ、やっかいごとを持ち込むのだろうと思われた。
「買い物ですか?」
「は、いや、買い物なんかしてねーよ。見廻りだ、見廻り」
うそつけ、と神様は半ばうんざりしつつ、思った。見ていただけでもため息を二十二回、吐いている。山崎の誕生日が迫っているから必死なのだ。そんなこと、とっくにお見通しさね。神様を舐めるんじゃあないよ。
歩き出したふたりの上空をぽわぽわと浮きながら、神はこれまでの、土方のした贈り物を並べて考えていた。
ほとんどがらくたみたいなものばかりだ。風邪薬をもとめたときにもらった、薬局のかえるの絵がはいったてぬぐい、煙草屋で売ってるキャラメル、気まぐれで買ってしまった縁日の水笛。いい歳した男にしては、ずいぶんと子供っぽいし安っぽい。気を引こうとか、よろこばせようとか、そういうものではないらしい。
けれど山崎はいつも、うれしそうだった。世界一しあわせそうに見えた。まったく泣ける。いい子だ、と思う。遊び人にはもったいないくらいだ。
ただ、このふたりをそんな色っぽい縁で結んだ覚えはなかった。神は不甲斐ない思いに、すこしばかり、しゅんとしてしまった。はっきりと恋の糸が見えているのだ。身に覚えのない、少々くたびれた、頑丈な縁がふたりをしっかり結んでいる。
それなら神などいらないのではないか。長年の、それこそ数百年にもわたる由緒正しき役割が、ふとつまらぬものに思えてしまった。自分探しの旅にでも出てしまいたい気分だった。
「なあ山崎。なんかほしいもんねーの」
「え? 買ってくれるんですか」
「あさって、おまえの誕生日だろ。祝いになんか買ってやるよ」
「いいですよ、そんなの」
お気持ちだけで、と殊勝なことを言う。しばらく黙って歩いていた。
「あーあ結局聞いちまった」
今年こそ、なんか適当に用意してやろうと思ったのに。土方はちょっとくやしそうにあたまを掻いた。
「じゃあ誕生日には、昼飯おごってください。副長の次の非番のときでいいんで、晩飯もおごってください」
あっでも、そんな高いものじゃなくていいですよ。定食屋とか居酒屋とかで。だって緊張しちまって味よくわかんなかったらもったいないですし。えへへ、土方さんと一緒だったら、俺にはなんでも特別ですよ。だから、ごちそうしてくださいね。
目も合わせないままで、山崎は早口に言った。土方は、いいよ、とだけ返した。神様はというと、すっかり感動していた。
思う強さが縁になる。そういうことが、ときどきある。きっとこの地味な男は何年も何年もかけて、か細い糸を依り合わせてきたのだろう。
信頼や情や言葉にしようのない気持ちを丁寧に結びつなげては、だいじに守ってきたのだろう。
それがいつしか赤くなった。きっと本人も気が付かぬうちに、恋になり、愛情になったのかもしれない。
ああ、それこそが運命だと、私は信じたい。
「まあ、誕生祝いとは別に、これから昼飯付き合えよ。そこの飯屋わりとうまいぜ」
「はい!」
神様は歩き去るふたりの背中を見送った。みっともなく毛羽立った赤い毛糸が、またちらちらと揺れている。
こんな家業も長くやると、おざなりになってくるものだ。すばらしい結末ばかりではないし、美しい恋も叶わぬことがある。こころが折れるときも、駆け出しの頃にはよくあった。平安の姫を不幸にさせたあのときは苦い思いを味わった。
ひとは欲深い生き物であるから、どうにかこうにか無理をして手放すまいと踏ん張る。それでもだめなことがある。実にややっこしいことだけれど、縁がもろかったのではきっとない。
うまくいくとは限らぬけれど、愛さずにはいられない。だれかを好きになるってことは、実にぐっとくるものだ。すてきだ。それを私が信じなくてどうする。
神様はふたたび情熱を取り戻した。さながら不動明王のように、赤い炎をめらめらと燃やし、寒空をすこしばかりあたためた。
「銀さんが振り向いてくれますように!」
下界から眼鏡くのいちのせつなる願いが聞こえてきたので、ぎゅっとこぶしを握り込み、望みのすくない恋の行方を見物しようと思い立った。いろいろ取り決めがあるので、おいそれと叶えてやることはできないが、脱げる限り、ひと肌もふた肌も脱いでやろうではないか。
無理やりでも結ばれたなら、あの子の思いの強さの勝利。連敗に次ぐ連敗でも未だ諦めないゴリラだって、今頃どこかで踏ん張っているはずだ。
こころに思う願いこそ運命。その、たったひとりを探し求めて右往左往するひとびとを今日、神様はほんとうに愛おしく思った。いたずらをつつしみ、正しき神の道を行かん。そうかたく誓った。
おそれるなかれ世の女子たちよ! また男子諸君よ! 運命のひとは絶対に、いる。
おわり
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