何より効きます。この俺が


あなたのお薬

くそったれ、ああ、いらいらする。
声を出すのも億劫だった。胸のなかで、飽きもせずに何度もつぶやく。
先週末から土方は風邪をひいていて調子が悪い。煙草を吸ってもむせるから、ほとんどは灰皿で煙を上げているだけだった。 それならやめておけばいいのに箱に伸びる手を止められなくて、いつものように火をつけてはそのまま灰にしてしまう。
判を逆に押したり、墨をこぼしたり、いつもならしないような失敗が続いて、書類整理はちっともはかどらない。
朝から晩まで利かない体にいらいらし通し。隊士たちは皆怖がって近寄らなかった。さわらぬ神になんとやら。

昨晩は薬を酒で飲んですぐ寝たのだけれど、効いている様子は一向にない。それでも土方は先祖伝来の、けがも病もたちどころに治すという薬の効力をかたくなに信じていた。
昼をまわった頃、残りの仕事を投げて畳の上に、ごろん、と横になった。息を吐いても吸っても、のどと胸がざりざりしていて気持ちが悪い。
片づけておきたいことならそれこそ山のようにある。なのに、ため息をつくのも苦しかった。いったいどうしろって言うんだよ。

「失礼します。あの、具合は……ふくちょう!」
間が悪くふすまを開けた山崎は、あわてて持っていた盆を置いた。苦戦のあとがありありとわかる散らかった机の上の、丸めた紙と書類と煙草の吸殻を押しやって。
「しっかり、しっかりしてください!」
「でけぇ声を出すな、まったく、なんともねぇよ」
起き上り、取り乱してわめきたてる山崎のあたまを殴ってやった。手加減したつもりはないのに、なでるようにしか殴れなかった。
よかった、とか、びっくりさせないでください、とか、まだぼそぼそ言っている。
何か用か、と聞けば思い出したように盆を手元に持ってきて、ちょっと得意げな顔をして見せた。
「たまご酒つくってきたんです。その分じゃ副長、ちゃんと昼食も取っていないでしょう?」
山崎が差し出した湯のみ茶わんには、淡い黄色がたっぷり入っていて、ほわりほわり、と湯気をたてていた。甘い匂いがする。
「これすごい効きますから。飲んで寝たらどんな風邪もすぐに治ります」
「うそつけ」
「ほんとですって。あ、熱いですよ? 気をつけて」
一挙一動を、いちいち心底心配そうに見守る山崎がおかしかった。笑いたいけど笑うとつらい。
危なっかしい手つきで土方に茶わんを持たせると、机に散らばった薬の包みをひとつ開いて渡した。
いつか肩を刺された時などは、日に三度きっちり飲まされたからよく覚えている、苦くて粉っぽい、草の匂いがする薬。
「それ、ほんとうに効くんですか?」
「効く」
迷わず言った後、かぱり、と口を開けて飲み下した。上下する、大きく浮き出たのどぼとけが色っぽくて好きだ、と山崎は思っている。

「土方さん機嫌が悪いから、誰も近寄らないでしょう?」
山崎はからかうみたいな口調でいじわるっぽく笑って続ける。
「不謹慎なんですけどね、俺ちょっと嬉しくて」
やさしく、子供を言いくるめるように話す声。土方は、重たい頭がしびれてくるのを、すっかり熱のせいにした。
「ごめんなさい」
素直にあやまられては、怒っていいのか抱き寄せていいのかさっぱりわからなくなる。はやく仕事に戻れ、と押し返すのをやめた。
「今日は、ひとりじめ」
なんだってこいつはこんなに嬉しそうな顔をするのか。面倒だろうし、時間をわざわざ割いて来るほどのことでもない。
しかし土方は当然、悪い気はしなかった。もちろん嬉しくもあった。なんというか、こそばゆい気持ちだった。
「だめですよね、こんなの。土方さん弱ってるのに、だからって昼間っからこんなにくっついてちゃ、いけない」
言ってることとやってることとがばらばらで、そばに寄ったりためらったり。山崎のこの面倒な性分は、土方にしてみればもっと困らせてやりたくなるだけの、甘えた仕草に違いなかった。
ああくそ今すぐ治れ。そしたら押し倒して風邪より熱くてやっかいな気持ちを、こいつにうつしてやれるのに。
ふらちなことを考えながら、咳をしないように下腹に力を込めて、土方はくせっ毛のまるい頭を片腕に抱えた。つむじに耳をつけて目を閉じると、胸がすこし楽になった気がした。
「嬉しいけどやっぱりだめです。土方さんがつらいのは。だからはやく治してください」
するり、腕のなかから抜け出すと、山崎は奥の間にてきぱきと布団を敷いて、多少大げさな介抱を続けた。寝巻に着替えさせ、仕事はだめですよ、なんて生意気に言ってみせた。
いつのまに、敷布は新しいものに換えられている。ぱりっとしていて気持ちがいい。

「眠れるまで、そばにいてあげますからね」
左手に絡まった、山崎のすこしつめたい指先が、こもった熱を逃がしていく。
こんなことならあともうすこし、ふせってみるのも悪くない。


おわり
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