やさしいおばけ


「わっ! わっ、おばけ!」
おばけに出くわすなんて、そうそうあることじゃあない。ほんとうは、いちもくさんに部屋へと戻って、布団にもぐってしまいたいけど、おなじくらいの背丈のおばけを、ひとりぽっちにはしておけない。
「さあさあ、もっと、こわがっておくんなせェ」
ひるんだ隙に、掴まえられてしまった。
「こわいよう! たすけて!」
ふたりとも小声だから、がんばってもそんなに盛り上がらない。敷布にくるまって、そのうち、くすくす笑い出していた。おひさまとせっけんの匂いのおばけ。
「なにしてんです、沖田さん」
「沖田じゃねーです。おばけでさァ」
だってもう敷布のなか。面と向かってそんなこと言われたって、どうしようもありません。暗くてぜんぜん見えないけど、おばけの中身はふわふわとあくびをしていた。夜ふかしできない、かわいいおばけ。
「部屋、きますか」
「うん」
沖田は返事をして、ぎゅうっと抱きしめた。髪は春の、湿った夜の匂いがした。
廊下は静か、ふたりきりまで、あとすこし。
「目が覚めちまって、そしたら今度は、どうも寝つけなくってねィ。そうか今晩は、しごとだったのか」
なんて言っても、ばればれなんだろう。ほんとは、待ってた。帰ってくるのが遅いから、心配になって待っていた。俺なんかの耳にはちっともはいってこない、しごとのこと。困らせたくないから山崎には聞けないし、あのやろうに聞くのは癪だし、それに、聞いたってどうせしゃべるはずはないから、いつだって俺は知らないでいる。
ぜんぶきれいにお膳立てされるまで、筋書きがはっきり決まってしまうまで、何ひとつ知らされやしないのだ。もしも何かあったとしても、俺のとこにまでまわってくる頃には、もうどうにもならなくなってる。決められたことには、従わなきゃならない。決めるのはあいつの役目で、俺のじゃない。
でも、おまえのことならなんだって、いちばんじゃないと嫌だ。わがままだって、困らせるって、わかってるけど、どうしても。
「報告、行かなくていいのかィ」
「明日でいいって、出がけに言われました。それに」
声をひそめて、ちいさく笑う。
「おばけに掴まっちまいましたから」
部屋にちいさなあかりを灯し、山崎は黒いきものを、ばさばさと脱いだ。なだらかな背中の骨の影、白っぽく闇に浮かぶ肌、いくつかの傷跡。
「寝間着、これでいいかィ」
箪笥をあけて取り出し、袖を通させる。あちこちに秘密を持っている山崎は、ときどきこっそり傷をつくって帰ってくる。打ち明けないから、こうして調べてやらなくちゃいけない。世話がやけるなあ。帯をまわすついでに、ちょっと、からだを引きよせる。
さわって抱きしめて甘えるふりで、傷のないことをたしかめた。子供のしぐさと思うだろうか。それなら好都合だ。
「すみません。いいですよ手伝ってくれなくて。先に布団、入っててください」
「せっかく親切にしてやってんのに」
やさしくしてやりたい。俺の身勝手もわがままも、知られたくない。だって、そうでないと、いけない。山崎だけが秘密を持ってるなんてのは好かないから。これでやっと、おあいこだ。
「ふふ、ありがとうございます」
俺のこと、とくべつに甘やかしてくれるの、うれしくないわけじゃあねェけど、甘えてばっかりはいられない。俺はいっぱしの男でおまえは俺のお嫁さんになるひとだから、護ってあげなくちゃいけないから、なのにできなくて夜中に足音消しておまえは、帰ってこなくちゃならないから、どうしたってしごとが邪魔をするから、いつもいつもかなしい結末が纏わりつくから。だから、やさしくしてやりたい。そばにいるときは、俺がおまえのこと、甘やかしてあげたい。
「はい、よし」
ひとにするのは勝手が違って、帯がうまく結べなかった。でもまあ、いいや。
「ほら、寝るぜ」
手をつないで布団に連れていく。このときを、ちょっと楽しみにしてた。前の晩は腕枕をして眠ったのに、寝ているあいだに蹴飛ばしちまった。だから次こそって思ってた。
「こんなにやさしくしてくれるなら、毎晩だっておばけにさらわれたいな」
あかりを消して、山崎はぼんやり笑った。
「でもやっぱり、沖田さんが、いいです」
「そうかィ、そりゃあ、うれしいや」
声が、ふるえた。泣きたくなってしまった。



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