嫁に行くなよ
賄い場の朝餉の片付けも済んだ頃、土方は書類仕事をあらかた片付けて、年初めのせわしない往来へ出た。
淡い墨色にけむった灰青の空からは、雪が今にもはらはらとこぼれてきそうな具合だった。暖をとるしぐさで煙草で火をつけて、一本、二本。
出掛けの隊士たちは、ことさら引き締まった凛々しい顔をつくってぺこり、とあたまを下げた。
しかし、待てど暮らせど沖田はいっこうに現れない。
このところ、あれやこれやと理由をつけて、沖田は休みがちだった。近藤にそれとなく伝えても、あいつは寒さに弱いからなあ、などと言うだけだったから叱るのも面倒になって放っておいた。
昼にはまだすこし時間がある。いつもなら、わざわざ呼びに戻ったりはしないのだけれど、しかし今日は是が非でも仕事をさせてやるんだと考えていた。年の始まる月くらい根性出しやがれ。
沖田は自室の火鉢のそばで、ひとを小馬鹿にしたように眠りこけていた。たたき起こしてつめたい廊下へ引き擦り出したら、不当に連れて行かれる小猫みたいに、顔をしかめて睨んできた。迷惑そのものといったしぐさが憎ったらしい。
「お、おう、トシ。なんだ見廻りに出たんじゃなかったのか」
「一番隊長がこう毎日さぼりじゃあ、ほかのやつらに示しがつかねぇ」
行き当たった近藤は背中に何やら隠しているようすだった。あたふたと慌ててしまいには顎をぽりぽり掻いた。
大きな背中に隠れるようにして、娘がひとり、立っている。
手毬の描かれた絢爛豪華な振袖は、男所帯に到底似つかわしくない。ばかな隊士がどこぞのお嬢さんを無理やりさらってきたのか、と土方は一瞬、肝を冷やした。
「悪い。とっつぁんがどうしてもって言うもんだからさ、その、ごめん」
顔の前で手を合わせる近藤はそろり、と片目を開けて、土方の顔色をうかがった。
「局長の顔をたてるためですから、副長も怒ったりしませんよ、ね、副長」
そこへ、歯切れの悪い近藤に代わって、寝ぼけ眼の沖田が口を挟んだ。なんでも、愛娘を嫁になど出したくない松平が、山崎を身代わりに立て見合いをするというのだ。旗本の娘ということになっているらしい。
「なんでおまえが知ってんだ」
「たまたまでさァ。土方さんの耳に入れたら話がややこしくなるってんで、黙ってやした」
隊士がそこに声をかけた。廊下はちょっとした人だかりになっている。
「山崎さん、お迎え来ましたよ」
見ると、裏戸の前に黒いビュイックが停まっていた。袂をつまみ、草履をはいた山崎は近藤に付き添われてふふ、と笑う。
「なんだか、お店の箱入り娘にでもなった気分ですよ」
近藤が主人なら土方は腕利きの番頭だろう。帳面とそろばんを両手に奉公人を叱咤する土方を思い描いて沖田は笑った。もしそうだったなら、店は繁盛して、瞬く間に大きくなるかもしれない。
「おまえみたいなぶさいく、大事な見合い相手に失礼じゃねーのか。まあ、俺ァどうだっていいが。おい総悟、見廻り行くぞ」
それだけ言うと土方は、再び沖田を引っ張ってすたすたと廊下を折れて行った。
「トシのやつ、照れてんだよ。山崎があんまりきれいだから、びっくりしちまったのさ。許してやってくれよな」
近藤はやさしい物言いで山崎に耳打ちをする。昔の土方をよく知る近藤だけれど、ふたりの事情は知らない。山崎は、どきどきしながら、手伝わせようと思ってた仕事でもあったんですかね、とだけ言っておいた。
仕事以外で隊士つかうことを、土方は嫌っている。当然といえば当然なのだけれど、近藤は頼まれれば嫌とは言えない性格なので、ときどきこうして困った事態になるのだった。
「ありゃねーですぜ、土方さん。相変わらずひどい男だ」
「うるっせぇよ、ばかやろう。とっつぁんも自分とこの娘出しゃあいいだろう。いい加減、子離れしやがれってんだ。みっともねぇ」
土方は、目に見えて機嫌が悪い。口も悪い。人相だってすこぶる悪い。往来を行く人々は怖がって近よらなかった。
「土方さん、天ぷら食いたくありやせんか」
「はあ? なんだよ急に」
「ちぃっとばかし値は張るそうですがね、すげーうまいって評判らしいですぜィ。とっつぁんが言ってやした」
沖田はにやり、と底意地の悪そうな笑みを漏らして、土方を一瞥した。これだけ見れば町行くひとは、真選組とはどんな悪の巣窟だろう、と思うかもわからない。
ありとあらゆることを思案したのち、このあたまの切れる男は、昼飯は天ぷらにするか、と言った。
思いどおりに運びすぎて、沖田はほんのすこしだけ土方を憐れんだ。ばかだねィ土方さん。
町中からすこし離れた料亭は、落ち着いた設えのこぢんまりとした舗だった。いかにもな高級さはないけれど、飾棚に並ぶ焼き物や調度には品のよさがうかがえる。
美しい小袖を纏った女中はふたりを座敷に案内すると、ぜひ庭を眺めながら食事を楽しんでください、というふうなことを言った。
沖田が障子を開けてみると、なるほど凝ったつくりの中庭がある。のんきに見回す沖田の向かいで、土方は品書きを眺めて絶句していた。
鯉の泳ぐ小池と石灯籠の庭を挟んだ斜めの座敷に、沖田は視線を注ぎながら言った。
「よさそうな男じゃねーですかィ。あれで大店の若旦那とは、神さんも不公平だねィ」
土方がちら、と覗けば、見るからに育ちのよさそうな男が松平の前に座っていた。山崎の姿は見えなかった。
「ふん、優男が」
沖田ははどうにか見合い相手の欠点を見つけ出そうとする土方を、けたけた声を上げて笑った。ほんとうの見合いでもなんでもないのだから、競う必要などない。ましてや山崎は女ではない。勘のするどい沖田は、土方と山崎の秘めごとに気が付いているけれど、知らないふりを続けてきた。
土方のためではない、山崎のために。
料理が運ばれると、沖田は嬉々として箸をつけ、いつものろのろ食べるくせに、このときばかりはぺろりとすばやく平らげた。
「いやでもあの男、相当な金持ちだそうですよ。男前だし何よりやさしそうだ。きっと山崎をしあわせにしてくれまさァ」
「まあ……そうかもな」
沖田のひと言は、効果てきめんだった。土方は見事なまでにへこんで見えた。ばかにもほどがある、と思った。憐れを通り越して腹が立ってきた。
「土方さん、今年こそいろいろ学んだほうがいいですぜィ」
土方が見遣ると、沖田は感情の読み取れないまっさらな表情で、いきなり叫んだ。
「ご用改めであーるー!」
風流な料亭に沖田の声が響き渡ると、たちまちまわりは騒然とし、非難する客人の足音がばたばたと聞こえてきた。
沖田は店のものに勝手に話をつけ、奥の間に進む。土方は何がどうなっているのか見当もつけられないまま、沖田を追い掛けた。
「おまえ、どういうつもりだ」
「どういうって、ご用改めでさァ」
すぱあん、と勢いよく襖を開けると、そこそこ臨戦態勢の松平とえびをくわえた山崎がいた。
「ここに桂がいるってんで駆け付けてみたんですがねィ、とんだ空足を踏まされやした。お騒がせして申し訳ありやせん」
神妙にあたまを下げた沖田を、松平はそうかそうか、と言ってねぎらった。切り上げる口実を得たとばかりで、見合い相手はすでに帰したあとだった。
「ところでうちの副長が、さがる子さんってェお嬢さんと見合いをするって言うもんで、介錯をしようと思うんですが」
「ばっかおまえ、介錯ってなんだよ切腹じゃねんだぞコラ、介添えだろこのすっからかんが!」
松平は落ち着き払ったようすで、部下を借りて悪かったな、と笑った。胃の痛い用事が済めば、さっさとこのまま色町に繰り出したい。今の時間なら昼見世にちょうどいい。
「ご苦労だった。じゃあな」
「へい。お気をつけて」
沖田の仮面に土方は唖然としていた。さがる子さんは、自分の給金では食べられない御膳に箸をのばしている。
「やっぱりアンタにはもったいねーや」
黙ったままの土方へ、勝ち誇ったように言った。
「お嬢さん、お嫁になんか行かせねェ。俺とかけおちしてくだせェ!」
言うやいなや、沖田は目にもとまらぬ早業で、あでやかな振袖娘の手をとって走り出した。転びそうになりながら山崎も引っ張られて行ってしまった。
「これくらいやらねーとだめですぜィ!」
声だけが届くなか、土方はぽつん、とひとり取り残されて、大きなため息をついた。これは見合いなんかより、よっぽど手ごわそうな相手だ、と思う。とりあえずは町じゅうの甘味屋を当たってみるか。かけおちなんか許してやらない。もちろん嫁になどやるもんか。
おわり
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