好きです、おっぱい


Good Bye! Imitation

衣装合わせなんてわざわざ真選組副長の時間を割くようなことじゃない、と山崎は思う。思うけれども期待もしている。つまりつまりそういうこと。
風呂に入って赤くなるほどこすりつけて米ぬかですべすべにしたりもして、つまりつまりそういうこと。
今日はとりわけ夜になるまで長かった。支度して今晩見せに来い。朝食のあとの廊下、ひと目を忍ぶみたいにすれ違いざまにそう言われたのだ。ああそんなどうしようどきどきする、と山崎はもう何百回思ったかわからない。不埒な妄想に支配されていつも以上に仕事はさっぱり。ごめんなさい。
ふれるにもふれられるにも口実が必要だった。面倒な手順だけれど仕方がない。このところ土方は死ぬほど忙しいらしい。
山崎は今、肩もあらわなシルクのドレスで暗い廊下を渡った。夜目は効くほうなのにのぼせてしまって前がぼんやりよく見えなかった。
「山崎です。失礼します」
待ち焦がれているのは何も山崎だけではない。布団をきっちり敷いて寝巻に着替えて恥ずかしいほど準備万端。あとは灯りを消すばかり。
「また今度のは……ずいぶんと張り込んだもんだな」
「幕府の大切な式典ですからね。勘定方は若干しぶしぶでしたけど」
貸衣装もいいものはそれなりに値が張る。暮れが近づくといろいろと物いりだから勘定方の財布のひもも固くなる。借りるわけにもいかない女物の下着などは割に高価なものだから、山崎も気を遣ってしまうのだった。
しかし土方が脱がせる用のブラジャーは経費ではない。いわく、俺が脱がせるブラジャーは俺が勝ってやる。
そんなわけでもう経費の介入する余地はなく山崎の淫らなブラジャーもあまり淫らでない質素で女装に実用的な、だけれど土方にしてみれば充分淫らで破廉恥極まりないブラジャーも、ふだん二千余円しか入っていない財布のなかから支払われている。むろん出所は同じなのだけれど、もちろん経緯が違えばそれなりに気持ちも違う。気合いが違う。全然違う。
「なあ、なかはどうなってんだ。そのドレス、脱いで見せてくれ」
だけど山崎にしてみれば別にどっちだって同じなのだ。脱がせられる用のブラジャーもそうでないものも区別はない。なんにしたっておれが買いに行くんだしおれがつけるんだから、というふうなものだったけれど、勘定方のこれまた局長と同じくかわいそうなくらいに女に縁のない二十代素人童貞、古参の苦労人は淫靡な香りただよう領収書を受け取らないで済むのだから、まあそれなりによろこんでいるらしかった。
あれよあれよという間に布団の上へ。待ちきれなくて、くちづけをした。それだけじゃ到底足りなくって、土方はふっくらまるい山崎の胸に手を這わせた。
「あっ、ひじかたさん」
ブラジャーなんてもう長いこと脱がせていない。だからこんなホックが三つもついていやがるような脱がせにくい代物をつけてくんじゃねーよ、と言われた夜から約二週間。失敗から学ぶ優秀な監察、山崎退が選んだのはフロントホックの可憐で清楚なバニラ色。谷間のあいだにちいさなばらがついていてお菓子みたいにふわふわしている。
けれど中身はにせもの。はずしてしまえばなんの膨らみもない、ぺったんこのさわったって揉んだって気持ちよくもなんともないだろう地味な胸。そもそも副長はどうしておれなんかの胸を揉んだりするんだろうか。きれいなひとも豊満なひとも色っぽいひとも副長ならよりどりみどり、ねえなんでおれなんですか?
両肩を掴まれながら、山崎は泣いてしまいそうだった。もしも今、こらえきれなくなった涙がぽたりと胸に落ちたとしても、膨らみなんてないのだがらむなしくにせものおっぱいに沁み込むだけだ。嫌だな、ほんとうに泣きそうだ。
「土方さん、おっぱい、好きですか?」
「は? ああ、まあ、そりゃあ、好きだけども」
もうだめだ、ああごめんなさい、いい雰囲気なのに、これからなのに、泣きそう。
「はは、そうですよね。すみません」
たまたま昼間に原田たちの猥談を聞いてしまった。なんでも、おっぱいは限りなく重要なものだそうだ。かたちや大きさ色つやまで、それぞれ好みがあるらしい。好みも興味もこだわりも執着も、それはそれは満載らしい。
「は? なんで今んなこと言うんだよ。嫌なのか? 嫌なんだったらはっきりそう言ァいいじゃねーか」
「いいい嫌じゃないですよっ、でも、でもおれ、おっぱいない……」
「知ってるそんなこと。え、何今さら?」
目が合った。何もかも残らず白状してしまった。
「おっぱいねえ……そりゃおまえ男はみんな好きだろうよ。でもまあ、あれだ。気持ちいいよ、おまえのおっぱい」
「へ?」
「男にしちゃきめこまかい肌してるしなんかこう吸いつくみてぇにもったりしてるし、俺は好きだよ、おまえの」
世界一の色男に真顔でささやかれれば気恥ずかしさも感じなかった。むしろ、おっぱい、なんて色っぽい響きですら何かむずかしい高尚な言葉に聞こえてくるから不思議だ。
「えっほんとですか? ほんとにほんとですか?」
「うん。ほんとにほんと。なあ、もう黙れよ気が散るだろ」
やっとさわれんだから、と土方はため息混じりに言って、ぱちん、と一撃必殺。フロントホックに手を掛けた。にせものおっぱいよ、さらば。
裸になったら正真正銘、ほんものの熱だけが残る。ああそれを待ち焦がれていくつの夜を超えただろうか!


おわり

地味プチにて配布したペーパーより再録
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