だって好きでござるもん


ロマンチック

「流星群でござる!」
息せききって駆けてきて、戸口までは間に合わないで、縁側から部屋に向かって、思いきり大きな声。
春の終わりに借りた二階屋、庭にぽつんと、さざんかが咲いている。表札はない。鬼兵隊、とでも、しておけばよかろうか。
蹴っ飛ばすみたいにばたばた靴を脱いで、両手をついて縁に上がる。襖を開けたら、寒ぃよ、とたったひとこと億劫そうに、眠たげな声が返った。
「今宵、流星群が見られるでござる。出掛けよう、晋助」
「ばか言うんじゃねえよ。こんな寒い晩に外出るなんざ、ごめんだ」
言って、こたつに肩までもぐった。万斉は、これでなかなか聞きわけが悪かった。頬をよせて、帰りに一杯やろう、とささやく。拙者、ご馳走いたすよ。
「つめてぇな」
ぎゅうっと鼻をつまんだ。もう、襟巻はどこいったかな、と考えている。
別珍の足袋をはいて、綿入れ羽織をひっかけて、きちんと襟巻をして、出掛けた。
師走の町はしいんと静まり返っていて、草履と革靴の足音だけ、こつこつ、かさかさ、響いている。
袂のなかに入れたこぶしは、何度握ったり開いたりしても、全然あたたまらない。
空は曇天。煙った夜のからっ風が、ぴゅうぴゅう吹いてくる。坂道をのぼって、八幡さまの境内を横切り、石階段をまたのぼる。
「星なら、嫌ってほど見てるだろう。なんでわざわざ」
「しかし、ここは江戸でござる」
空のずっと上、宇宙にいるときなら、さわれそうなくらい近くでひゅっと星が滑る。
でも今晩がよかった。とくべつな真冬の夜に、いくつもあるうちの、たったひとつの夜に、一緒に星が見たかった。
丘になった竹林からは、眠る町が見下ろせた。
雲はきれない。あいもかわらず、まったく曇天。
「……すまぬ。ここまでくれば、すこしは見られるかと思ったのでござるが」
万斉はこころからすまなそうに、肩を落とした。背が高いから、大げさなくらい落ちこんで見える。
「仕事がはやくひけたのでござる。この歳末に、めずらしく。もうこれは」
言葉に詰まった。目のまわりだけ、すこし、熱い。
「これは、なんだよ」
寒空に投げ出された格好で、それでも北風に吹き飛ばされないように、竹林の隅に立っている。声は音になって連なり、ぼんぼりみたいな息がほわっと浮かぶ。
「いや。きっと、笑う」
「そりゃあ笑うだろうな。でも言えよ。命令だ」
風がそわそわ葉を揺らして、ちょっとの沈黙が夜のずっと果てにいる心地にさせた。
「……運命だと」
「はは、ばか」
もっと笑えればいいのに、と思った。冗談にできたらいい。でも、風がつめたいから、うまく笑えなかった。そういうことを、ばかなことを言う男だと知っていた。
「残念だ。どっかに一個くらい、星落っこちてねえかな」
腹が立つほど寒いから、早々にあきらめて、道をくだる。晋助は上ばっかり見ている。
危なっかしいから手をつないだ。つめたくて指先がじんじん鳴った。重なって絡まって、はじめてつないだわけでもないのに、胸のなかまで騒がしい。
「晋助。ちゃんと前を見て歩くでござる」
ぱた、ぱた、と草履の音はほんのすこし、上機嫌。
寒い夜に連れだして、きっと怒っているだろう、と万斉は思っていた。ごめんでござる。
「平気さ。おまえがしっかり、つないでてくれりゃいい」
「……承知いたした」
あんまり照れくさくって、万斉は大空を見上げた。もくもくしているばっかりで、星はどこにも光らない。
町中に戻ったけれど、夜の果ての続きだから、ひとの姿もなく、静か。裏店の通りをゆっくり、歩いた。万斉はまだ星を探すふりをして、うるさいこころをなだめている。
「わっ」
「おい、わあっ」
声がせまい路地に響いた。積んである桶をがらがらがら、と崩しながら、万斉が派手に転んだ。空ばっかり見ていたせいで、桶屋の前、足もとに気がつかなかった。
ひっぱられて、もちろん、晋助も一緒になってひっくり返った。
「すまぬ、平気でござるか」
かばうようにかぶさって、最後にひとつ、落ちてきた桶が背中にぶつかる。痛かった。
「……いってえ、おまえ」
「晋助」
痛くって、星どころじゃない。猫が、にゃあ、と鳴いて逃げて行った。
「どけよ、ばか万斉」
かぶさったまま、背の高いばかな男は動かない。
「なんだ、どこか打ったのか」
「いや、晋助」
くちびるを、むずむずさせながら言う。なんとなく、こそばゆい声。 「手を、つないだままで、ござった」 「そうだな。くそ、だから俺まで」 照れて笑った。 「うれしいでござる。離さないでいてくれた」
路地に寝っ転がったまま、抱きしめた。胸のまんなかは、いよいよにぎやかで浮かれてはしゃいで、みっともない。だけど、どうしようもなかった。
「うれしいでござる」
抱きしめたら急にあたたかくなった。ひりひりするほど寒い夜に、乾いた頬がぱりんとはじけそうだ。
砂まみれで立ち上がると、晋助はあきれたふうに、くしゃりと笑った。
「逃げようぜ。万斉」
桶屋のおかみが何ごとかと出てくる前に、ふたりで逃げた。くすくす笑いながら逃げた。もう星のことは忘れていた。
手はつないだまま。寒い、つめたい風が吹く夜に、曇った夜に笑い声だけ、きらきら星屑みたいだった。


おわり
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