助けて、ふれて、抱きしめさせて


午睡

廊下を渡りながら万斉は、格子窓の向こうですずめが鳴いているのを聞いていた。のどかな日和に夜の気配はどこにもない。
ほんとうなら朝方に、言い遣った仕事は終わらせていた。すぐにでも来られたのだけれど、そうしなかった。
腕に残る重みに引きずられて、夜になかへ迷い込んでしまいそうだったからだ。そうなれば二度とここにはたどり着けない。戻れない。
万斉は暗い、がらんどうのような部屋に戻って陽が昇るのを待った。
時々、そういうことがある。
暗い道でもすらすら歩けるこの足は、帰るところを知らない。人斬り。

昼下がりの座敷で晋助は座布団をふたつに折って枕にして、淡い眠りを漂っていた。
いつものようにひっそりと寝息が聞こえる。泣きたくなるほどに溢れる、午後の光。サングラスをはずしたら、目の奥がじん、と痛んだ。
「ああ、来たのか」
晋助は肘をついて半身を起したけれど、またすぐに背中を向けて寝そべった。自分から手を伸ばしはしないものの、沈黙には充分な余白がある。
「拙者も昼寝しようかと思って」
「そうかい」
万斉は、すみれ色の絹の背中に抱くようにして横になった。陽に照らされた畳はじんわりあたたかい。
「くすぐってぇよ」
「今日は、天気がいい」
晋助のえりあしを光が濡らしている。そこに鼻をうずめてやわらかな髪をかき分けると、温もった肌がある。
「なあ万斉……」
ぬくい肌の奥には、命、がある。
「なんと?」
もっと抱きしめた。この腕は震えてはいけない。だから、振り向かないでほしい、今。
「いや、なんでもない」
「眠っていいでござるよ?」
膝を曲げて隙間なく体を沿わせたら、あごの先に小ぶりな頭のてっぺんがくる。こんなにも、納まりがいい。
そばにいたいと願っているのに、帰れる自信がなくなるのだ。突然恐れが大きくなって、愛することも慈しむことも、できないような気がしてしまう。
もろい命をこの手が壊すのではないかと、恐れながらためらいながら、それでもふれたいと思う。ふれていたい。
「万斉、俺が起きるまで、そうしてろ」
体に巻きつく腕をぽんぽん、と叩いた。
「晋助」
「なんだ?」
「……おやすみ」
なぐさめられているのは拙者のほうでござるよ、晋助。


おわり
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