悪口
どこへもやれぬこの気持ち。まさか口に出すわけにはいかない。千年続けた私のなりわい、ようやっと味わいがわかってきた。
おいそれと失うわけにはいかないのだ。わかってくれるか、なあ、そこのあなた。今ここですこし話そう。あなたに聞いてほしい。見えない糸の両端をあれこれ思案するそこの娘よ。あなたを見こんで打ち明ける。なに大丈夫、お盆の後のこの時期はみな休暇に出ている。仲間内でこんなところにいるのは、私くらいのものである。 お盆のあいだ、弁天も菩薩も毘沙門天も、客人におおわらわだった。私たちにだって休みが必要。わがままを言って申し訳ないが、なにしろ疲れる家業なのだ。
しかし秘密にしておいてほしい。重ねて言うが、他言は無用である。
ほんのちょっとだけむかし、あるところに美しい娘がひとりいた。かなしい身の上であった。早くに両親をなくしたためおなじ血の通うものは弟だけ、その弟をだいじにだいじに育てていた。
ひとはだれでも体の奥にいれものを持っている。たったひとつきり、持っている。娘の器は淡い乳色をしていて、ほんとうに、とても、だれもがうらやむほど、きれいだった。しかし、もろかった。割れて魂が浮いてしまったら、それはすなわち、そういうことである。娘は多くを望めなかった。かわりに美しい姿を与えられた。よくやる手と言われてしまえばそれまでだが、いろいろ事情があることを、わかってもらいたい。
私に文句を言ってもらっては困る。ひとのいのちのあれこれは私なんかの手には負えない。もっと徳の高いものが決するきまりになっている。
しかし、娘が十八の歳、相談を持ちかけられた。実のところ、ちょっと迷惑な話だった。徳の高い神であるにもかかわらず、だいぶと娘に肩入れをしていたのだ。恋を一度だけでいい、させてやりたいと言う。駆け出しの私なぞに、断れるわけがなかった。
私はふわふわ田舎の空に寝そべって、林と田んぼと川に囲まれた村を眺めた。
そこに、たいそう快活な男がいた。大柄であたたかく、粗暴だけれど気持ちのやさしい男だった。尻にもさりと毛が生えている。美女と野獣とはいうが、だめだ。男はよっぽど思い詰めるたちのようす、これはよくない。
強い男もいた。なるほど腕はたしかなようだが、これもいけない。男には道がひとつしかないうえに、彼にもそれがわかっている。やっかいなものだけれど、それを違えてしまえば、男の道は闇のなか。非道な悪党になり、いずれは血の池におちる。
閻魔の仕事を増やすとうるさいのだ。私はうるさく言われるのがきらいだ。
ああ、見つけた。これがいい。
うぬぼれの強い男がいた。あたまもいい、容姿もいい。いれものも頑丈そうだ。ひねくれた、ややっこしい、何が起ころうとも自らの行く先を見失ったりしない男。決めた。
私は赤い糸を取りだしてふたりの小指と小指を結び、銀のはさみで端をちょん、と始末した。たちまちふたりは好き合うようになった。これが私の仕事である。縁結び。
ひとつ見こみ違いだったのは、男が思ったよりも純情だったことである。ふん、悪い色男のふりをするくせに、まったく不器用だ。くちづけはおろか、手も握れない。すばらしい夕暮れを用意してやったというのに!
あんまりもたもたしているので、糸をちょいとまるめて飛ばしてやった。糸は透ける羽の赤とんぼになり、娘の指にとまった。今、今くちづけをかわすのだ。明日の朝には消えるけれど、今宵ひと夜の恋は一生消えない。男は忘れてしまうだろうが、女のほうは忘れない。それでいい、狙いすましたとおりになる。言いつけられたとおりにどうか、なっておくれ。
男はぽっと頬をそめた。そして、顔をそむけた。
そのときはじめて、ほんとうにはじめて、私はこの仕事のこわさを知ったのだ。ふるえがきた。
ひとを、かわいいと思った。しあわせにさせてやりたいと、思ってしまった。
私が結んだ恋の糸は、切れるように細工してある。恋は恋のままでいい。思い出だけでいい。娘にぴったりの、美しい恋をさせてやりたい。そのあとは決めたようにゆかせる。こちらで選んだ男と添わせ、天寿をまっとうさせる。そう、しつこく言われていた。うんざりするほどだった。
もういい。もういやだ。私はこの家業にむかない。
ない知恵を絞りにしぼって、考えた。こたえなど、決まっていた。
男たちの旅立つ日の前の晩、私の糸のとおり、男は別れを口にした。迷いはわずかもあるはずがない。そういう男だから、選んだ。朝になり、荷物を背負った男たちが町へ続く畦道に揃った。
私は、約束を破ることに決めていた。そうしたことは、後にも先にも、このときだけ。糸を結びなおしたのだ。そして願った。こころから願った。そうすることしかできなかった。もし男が娘を振り返ったなら、一度でも振り返ったなら、私はどうなってもかまわぬ、糸は真実ほんものの、赤い糸になるだろう。
しかし娘は願わなかった。男も願わなかった。ふつりと糸は、切れた。
そして私はなりわいを続けることになってしまった。
これより先はともすれば、悪口になるかもしれない。神にあるまじき、と私だって思う。わかっている。
できれば、すぐに忘れてもらいたい。
かよわく、美しいだけのあの娘は、それでも女であった。おそろしいまでに女であった。
知っていたのだ。自らの、さだめもいのちのゆく先も。そして、望まれなかったということも。
だから娘は、賭けをした。数年後のことである。
定めたとおり、ある男と夫婦の約束をした。恋も愛も、そこにはなかった。私には関係ない。浮いてはいられなくなるほどに繰り返し、それでもついに、知らんぷりができなくなった。私の未熟さゆえである。
娘はかつて恋をした、あの男のもとを訪ねた。会うつもりはなかった。いのちをそっくりそのまま使って、愛情のすべてで育てた弟の今後だけが気がかりだった。
婚約をかわした男は悪事に手をそめていた。わかって申し出を受け入れた。ちょうどいい、と娘は思った。いのちが賭け値なら、この男は駒だった。
それとなく、親しかった彼らに伝えようと思ったが、その必要はないらしかった。私のような女の出る幕でない。娘は思っていた。
そぶりには出さなかったが、男たちに加わりたいなどとは、毛ほども思ったことはない。女として望まれたかった。特別で何よりだいじな女として、望まれたかった。そうでないなら、意味がない。
女はだから、おそろしい。
すべては娘の望んだとおりになった。すばらしく完璧だった。
私はもう悔しくて、神のくせにわんわん泣いた。彼らの上に雨となって、悔し涙が降り注いだ。娘のほうが私より、よっぽど、よっぽど上手だった。ああ今思い出しても、悔しい。憎らしい。
女としてあの娘は、一度は惚れた男を負かしたかったのだろうか。魂だけになったらきっと、覚えていることはできない。だから、一生覚えていてほしい。そういう女がいたと、惚れていたと思っていてほしい。美しい私の美しい思い出を、忘れることなどゆるさない。そう思っていたのかもしれない。
彼女はほとんど魂になって、見届けていた。私はその横顔を見た。淡い栗色の瞳はひとりだけを見詰めていた。
ほんとうに愛した、たったひとり、かわいい弟。彼は立派に正しさを見抜いた。ひねくれたやさしさは、きっとこの先もひねくれたままだろう。だけどそれは、あの子のだれより強い剣を照らす、一筋の光になる。彼らの思うところへ、必ずゆかれる。それをたしかめたかった。
ああ、よかった。立派になった。
それだけ言って、ふわりと消えた。さいごの別れをするために。
娘は賭けに勝ったのだ。あっぱれ、みごとな大勝ちである。
負けたのは、あの男ではない。私だ。
これで私の話はおしまい。聞いてくれてありがとうね。
ああ、申し訳ない。それは、いけない。あの、ややこしい男の気持ちは、あなたに教えてあげるわけにはいかない。恋を信じられなくなってしまう。ひとつ言えるのは、ちゃんと赤い、とてもとても強い糸が、私の知らぬところで勝手に結ばれていたということ。あの男はたいそううぬぼれが強い。心配いらない。くるくる巻きにされて今は、ばかみたいにしあわせそうだ。かわいそうなのは、望んで念じて糸を結んだ、ちょっと地味なあの子かもしれない。でもそれだって、大丈夫。
どうぞ恋を信じておいでなさい。そうすれば助けてあげられることもある。 私の仕事は縁結び。あなたに、いいご縁がありますように。
おわり
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