箪笥の奥に
風のぬるむ三月なかば、非番の午後に綿入れをほどき、綿を抜いて袷にする。頼まれたり押しつけられたり、大きさも柄もばらばらのきものが、畳の上に六枚。
紺絣は沖田さん、布団みたいに大きいのは原田、洒落た格子は局長、墨色の、かっこいいのが土方さん。
全部、縫い終える頃には、すっかり夕焼け。
山崎は、凝った肩をぱきぱき鳴らして、針道具をしまう。到来もののおせんべいの缶に、使いこんだはやみや針がぎっしり入っている。
ほんのちょっと、ちょっとだけ。そう思って黒をはおる。気に入りで、よく着ているから、布地はやわらかい。それでも、あのひとのからだに馴染むこの色は、俺にすこしも似合ってくれない。
鏡に映して見てみても、長い裾を引き摺って部屋のなかを歩いてみても、俺にはちっとも馴染まない。たばこと、沈香。あのひとの匂い。懐手をして立つ、やっぱり、似合わないな。
ずっと着ていたくなってしまうから、山崎は脱ぎ、しわにならないようきれいに畳んだ。匂いがしたら、顔を見たくなる。すぐ近くにいるのにおかしいけど、恋しくなって、会いたくなった。
手もとに切符。墨色のきもの。届けにゆくくらいなら、迷惑にもならないだろう。
「副長、山崎です」
焦がれる気持ちを隠して、声をかけた。
おう、入れ。短い返事にうれしくなって、いそいそと襖をひらく。
「わっ、どうしたんですか」
部屋はごちゃごちゃと散らかっている。ふだんは押し入れのなかにしまっているものが、そこらじゅうにある。
古い書物、何かでもらった煙草盆、だましだまし使い続けているらしい、壊れかけた扇風機。
土方は、あちこちに埃をくっつけて、探しものをしてた。
「去年、あつらえた袴がねえんだ。仙台平の」
明日の幕臣との会合に、着ていくために探しているのだという。
「手伝ってくれねえかな。たしかここに、しまっといたはずなんだが」
ぽりぽりと耳のうしろを掻く、困った顔もいいなと思った。山崎は快く引き受けて、押し入れの前に膝をつく。よく知っているものも、見たことがないものも、いろいろあってちょっと楽しい。
「この箱は、なんですか」
いちばん奥のすみのほうに、大きな長細い箱を見つけた。土方はおぼえがないようで、首をひねっている。
「どうしよう、髪の伸びた身に覚えのない人形だったりしたら!」
副長の精悍な顔がみるみるうちにこわばる。おばけが苦手なところ、かわいくって、大好きですよ。山崎はこっそり、こころに思った。
「ばっかやろう、そんなこと、あるわけねえだろう」
でも、開けない。開けられない。土方のあたまには、人形の恐ろしげな顔かたちが、はっきり像を結んでいる。
「開けますね」
「えっ、待てよ、呪われでもしたら」
はらり。薄紙が空気をはらんで持ち上がる。箱のなかから出てきたのは、つやつや光る、黒革の。
「長靴」
「おまえ、おどかすなよ。ああ、これ、まだあったのか」
懐かしいな、とこぼし、手に取る。買ったときとおなじように、革の匂いがした。
「かっこいいですね。でも、履いているところ、見たことがない」
「ああ、しまいっぱなしだったからな」
膝くらいの長さのブーツは、きっとすごく似合うだろうに、と山崎はすこし残念だった。
「どうしてです」
「これで車、運転できねえだろう」
はにかむみたいに笑う。ちょっと困り顔で、くちびるをゆがめて。
「馬、乗るんだったらさ、いると思ってあつらえたんだ」
「うま、ですか」
江戸だろう。幕府にとりたてられるなら、必要だろうって早合点してな。将軍さまでもあるまいし、こんなの、いらねえのにな。
若い日を思っているのか、土方は照れくさそうに語った。
「船が空ぁ飛びやがるし、城みてえな建物がそこらじゅうにある。江戸がこんなところだなんて、俺はちっとも知らねかった」
少年だった頃。夢をみていた頃。さとの匂いをさせていた頃。
その日にも、そばにいれたらよかったのにな、と山崎はちょっとばかし寂しくなった。何度か写真を見せてもらった、あの髪の長い時分の、土方さんに会ってみたかった。きっと、いまとおなじように、好きになったに違いない。
「ねえ、履いてみせてください」
ちょっとだけでいいですから。ねえねえ土方さん。山崎は、薄紙を畳に広げて頼む。仕方なく、土方は忘れていたむかしの靴を手に取った。
ぽすん、と空気の抜ける小気味よい音をたてて、足をつっこむ。くすんではいるけれど、ほんとうにほんとうに、恰好いい。
「似合いますね、やっぱり」
「そうかな」
照れて、つまさきを見つめている。しまったままにしていても、いつかあこがれとともに選んだ靴は、足にぴったりでとてもよかった。山崎はたったいま恋に落ちたみたいな気がした。もう何度目になるだろう。両手の指でも足りないくらいかもしれない。
「慣れねえな。どうも」
恥ずかしげに靴を脱ぎ、また箱にしまう。次に開けるのは、いつになるだろう。
「副長は、裸足でいても、恰好いいです」
「からかいやがって」
袴は夏ものの行李のなかから見つかった。畳紙に包んで、やっぱり買ったときのまま、きちんとおさまっていた。
しまったものも、忘れているものも、たくさんあるのだろうと思う。けれどこの先、ふいに思い出す日がくるのかもしれない。
おわり
もどる