俺はアンタの


おもちゃ

取り逃がした。あとすこしというところで下手を打った。
昨夜の斬り込み、指揮を執ったのは土方だった。的は河岸の水茶屋で、かねてより攘夷浪士の集会場と目をつけていた場所だった。
裏手の運河にひとつきり、掛かる橋から逃げるものと睨んでいたが、岸に隠した小舟までは読み切れず、浪士をひとり、逃してしまった。
死闘と修羅場で磨きあげた、刀のように冴える勘も、この時ばかりは鈍ったか。
土方は自分を許せなかった。なんだってそんな失敗をしたのか、どうしてそんなことくらい、見当がつかなかったのか。
新米隊士がひとり、けがをした。深手ではないものの手薄な人数であたらせたのは自分だ。それがいちばん堪えていた。こぼれた酒が右手のひらの血まめに沁みた。痛いというより惨めだった。
「なんて顔してるんですか、副長」
そっと部屋に忍び寄った足音が、からり、襖を開けて声をかけた。こんな時、わざわざ様子を見にくるやつは、ひとりしかいない。だから土方は、出て行け、とは言わなかった。
「いただきものですけど、柿、剥いたのでお持ちしました」
「…格好わりーな、俺」
気を遣わなくていい、とか、早く休め、とかそういうことを言おうとした声は、意図ぜず弱音になった。土方の、すり減ってゆがんだ甘えだった。鬼のものでない、ふつうの男の甘えだった。
「そんなことないですよ」
山崎はぺたん、と膝を折って座り、
「でもね、格好よくなくていいです、強くなくてもいいですアンタだったら、土方さんだったら、俺はなんでもいい」
縋るような、焚きつけるような目をして言った。それから両手を伸ばして、言葉をなくした土方のくちびるに、自分のくちびるを押し当てた。夢中だった。しょげた横顔なんて似合いもしない、それなのに裂けた傷をまたひとりで塞ごうとしているなんて、許せなかった。
「俺はね、なんでもしますよ。監察ですから、うそもつくし汚い手だって使います。アンタがそういうふうに育てたんだ。そうでしょう?」
土方さんはやさしい。だから強い。守りたいのに守りきれない、悔しい思いを幾度もしたから誰より強い。道場にこもって稽古して今だってまめをつくって、不器用なこのひとはそれしか方法を知らない。
だからこそ、強い。それをいちばん知っているのは、俺だ。自惚れでもいい。副長の傷を塞ぐのは、俺の仕事であってほしい。

「なあ山崎、じゃあこれも、うそなのかい?」
軽やかに腕をほどくと、土方はそのまま山崎を押し倒した。獣の目をした土方は、憎らしいほど格好いい。
「俺ァ口吸ったくらいじゃあ、満足できねぇよ」
痛いくらい、大きな音で胸が鳴っている。山崎はくらくらしながら必死に、用意した言葉を手繰り寄せた。
「い、いつもは恥ずかしくてできないようなことも、今夜はしようって、そう決めてここへきました」
土方は、山崎の赤く染まった初心な頬を、そうっと指でなぞって、震える声を聞いていた。そうしているうちに手のひらの痛みは熱に変わっていった。愛おしさと激しさの絡まった、どうしようもない熱だった。
「今夜俺を、アンタのおもちゃにしてください」
山崎の、一世一代の台詞の最後は、くちづけのせいでかすれてしまった。


おわり
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