あなたを布団に誘う手管は


あたためたいの

このところ毎晩やたらと冷える。
凍てつくような夜中の洗面所で、土方はつめたい水に震えながら歯を磨いて顔を洗った。
沖田の半分ふざけて書いたとしか思えない始末書の訂正をしているうちに、すっかり遅くなってしまった。風呂はもう面倒くさい。一日二日入らなくたって別に死にゃあしないだろう。
「しっかし、さみーな……」
この分じゃあっというまに大みそか。攘夷浪士も静かに年を越せばいいものを、年末になると決まって何か大がかりな事件が起きる。蕎麦でも食っておとなしくしてろ、と思う。そのほかもろもろ交通規制に酔っぱらい、人出なんかもう到底足りるわけがないのに、問題しか起こさないようなやつらが大腕を振るってことにあたっているものだから、ちいさな事件ですらいつのまに手に負えなくなっている。 それもこれも毎年のこと。あとひと月もしないうちに、上へ下への大騒ぎがあいもかわらずやってくるのだ。今からあたまが痛い。ちょっと待ってくれ冬将軍。
「あーやめた。はやく寝ちまおう」
考えれば考えるほど憂鬱になってくる。硝子窓の外にはかちかちに凍ったみたいな細い月。だれもいない暗い廊下は冷えきって、裸足の足の裏を苦しめてやろうというように待ち構えている。土方がようやく決心したように、首をひっこめて部屋へ戻ろうとしたところへ、うしろから声がかかった。
「お疲れさまです。おやすみですか」
「ああ、なんだ山崎か。おまえも遅かったっけ、今日」
「いいえちょっと、炊事場を借りてたんですよ。湯たんぽ、そろそろ使おうかと思って」
えへへ、とうれしそうに言う山崎は、まるまった綿毛布をだいじに抱えていた。たぽんたぽん、と歩くはずみで湯が揺れて音をたてた。
実のところ山崎は、寒くなるのがちょっと楽しみだった。ブリキの缶のなかには湯だけではなくって、何かこう、うっとりするような幸福が詰まっているんじゃないかと思うくらい好きなのだった。湯たんぽ。
「ずりーよおまえ、自分だけ」
「ええーだったら副長も用意したらいいでしょう。貸してあげませんよ」
かばうようにぎゅっと抱えてみせてから、いいでしょふふん、と言ったやった。このままだとひそかな冬の楽しみを取られかねないので、山崎は足早に廊下を急ぐ。お勝手口に近い監察方の宿舎、その先の廊下を渡ると、土方の自室がある。
「それでは、おやすみなさい」
「待てよ、おい」
「えっ、なんでついて来るんですか戻ってください、部屋むこうでしょ」
灯りのついたままだった山崎の部屋に、土方まで入ってぱたり、襖を閉める。山崎は、敷いた布団のなかにさっさと湯たんぽを滑り込ませた。
するとあとを追うようにして、土方も布団のなかへ入ってしまった。
「ちょっと! ここで寝ないでください」
「お、あったけえな。こりゃあいいわ」
山崎が泣き出しそうな顔で布団を引っぱっても、土方は取り合わない。
「おれどこで寝ればいいんですか。土方さんひどい……」
ぐずぐず言い始めた山崎を泣くまでいじめたいのが本音だけれど、それではあんまりなので土方はほんのすこし端に寄って場所をあけた。けれど楽だいじな湯たんぽを取られて膨れた山崎の機嫌は、しかしなかなかなおらない。当然といえば当然だ。
「もういいですよ。土方さんとこで寝ますから!」
そう言い置いて、部屋を出て行ってしまった。かわいそうなことをしたな、とようやく思い至る。遅すぎる。山崎は案外、一度意地を張るととことん張ってみたりする。結局は適度なところでしっかりきっちりほだされてあげるのだけれど、ほんのときどき三日くらい、張りっぱなしにする。それは土方にとって、かなりの痛手であることに間違いはなかった。
追いかけてやろうかな、と、やっとのことで重い腰を上げかけたとき、山崎が再び部屋に戻った。
「灯り、つけっぱなしでしたよ。もったいないですよおばけ出ますよ」
「悪ィな。ついでにこっちも消してくれ。あともし出やがったら仕事手伝わすって言っとけ、おばけに」
かっちんかっちん、二回、天井からぶら下がるひもを引いて、部屋はまっ暗になった。暗くないと熟睡できない、という土方のためだった。たぶんそんなに怒ってないのかもしれない、と様子を見ていた土方は安心した。そんなことではらはらするくらいなら、はじめからいじめたりしなければいいのに、と思う。まあでも、思うからといって、やめるつもりはこの先もない。まったく、さらさら、これっぽっちもない。
「枕、使いますか」
「いい。おまえ使え」
布団のなかはあったかく、干したてなのでふかふかしていて気持ちがいい。ちょうど膝のあたり、ふたりのあいだに湯たんぽがある。
「土方さん、煙草くさい」
「風呂入ってねーもん」
「ええー」
土方は非難する山崎を蹴ってやった。廊下を歩いて来たというのに思いのほか、山崎の足先があたたかいことを知る。
「痛っ、うそですって。痛い、蹴らないでくださいよう」
蹴るのをやめて、代わりに山崎の足のあいだに、右のつま先を滑り込ませた。
「ひゃっ、ひじかたさん足、つめたい!」
ぺったりひっつけたりして、また非難される。それでも山崎は、あまり逃げない。
「冷え症ですか」
「いいや。そうでもねーけど」
もぞもぞ、ちょっと下がって山崎は、両足を交互になるよう絡ませた。
「じゃあ、あっためてあげますね。あ、手もつめたいでしょう」
「顔洗ったからな」
部屋のなかは、ふたりのほかにはただ闇があるばかり。手さぐりでつめたく冷えた手を探した。
「貸してください。わ、どこさわってんですか」
「目ェつぶってっから見えねんだよ」
「ははっ、くすぐったいです。ちょっと待って、あ、ここだ、掴まえた。もういっこ……ひゃーさわんないで」
暗い静かな部屋に、くるくると楽しげな声が響く。ごく控えめに、隠れ家で遊ぶ子供みたいに。
山崎は、土方の両手を胸の前で包んだ。ごつごつした指の大きな手。
「ねえねえ土方さん、湯たんぽ、面倒だからどうせ買っても使わないでしょう」
「そうかもな」
「仕方がないひとですねえ。じゃあときどきこうやって、一緒に寝てあげてもいいですよ」
返事はもう返ってこない。決して寝つきがいいとは言えない土方も、このときばかりはあっさり夢に落ちてしまったらしい。
「おれは毎日でも、えへへ、いいですけどね。おやすみなさい」
くちづけさえもしなかったその夜は、朝まで手をつないで眠った。どこもかしこも、ぽかぽかとあたたかかった。


おわり
もどる